今をどう感じているのか


読書はその時にどんな人生を歩みたいと願っているかに、影響を受けているように最近思いました。昨日の夜の読破はこの2冊。


『真夜中の栗』(幻冬舎文庫)
小川糸さんのエッセイ。


『この先には、何がある?』(幻冬舎文庫)
群ようこさんのエッセイ。


どちらも偶然立ち寄った書店で手にしました。


小川糸さんも群ようこさんも、どちらも大好きな作家さんです。


少し前は淡々とした日常的な描写を読むことが苦手で、どちらかといえばミステリーなど読んでいてドキドキハラハラする急展開があるものが好きだったのですが、最近は読みながら心穏やかになれるものを手にしたいと感じるようになりました。


本には想像以上の影響力があって、読んでいるとそれは自分も現在の現実とは違うことだと理解していながらも、その勢いや明るさ、暗さなどが実生活にもじわじわと侵食してくることがあります。これはあくまでも私の場合は、という話ですので、そこまで本や映画などの作品に影響は受けないなあと思う方もいらっしゃると思います。実際、私自身も昔はそうだったし、せっかく作品として触れるのだから絶対に自分の日常には無さそうな、あえて距離が遠そうなものを読んだり観たりしたいのだと思っていた気がします。


世界は感染症パンデミック、気候変動による大規模な災害、そして現在もなお拡大していく混乱と、平穏無事とはどんどんかけ離れた状況へと進んでいます。その中で毎日BBCやCNNを中心に世界の速報に原文で目を通すように心がけ、今現在のリアルタイムで何が起こっているのかを自分の心で受け止めなければならないと感じています。
その中で、では自分はどう生きるのか。私のプライベートでの多くの友達が海外在住経験があり、日本にしか住んだことのない私はこの絶対的な感覚の温度差に危機感を覚え、このままではダメだと気がついてから、無理やり世界のリアルタイムに触れるようにしているわけですが、ひとつ言えるのは今自分が見たものについてどう感じているのか、考える努力を怠らないことが大切ということ。これは現代アートを見ながら学んできたこととも共通しています。
今にしかない学びから目を背けないことが、その先に繋がっていくように、最近は強く感じています。蓋をするのは簡単だし楽なのだけれど、それをして後々とんでもなく大変な思いをするのは自分なのだから。


いろんな人が、その時その瞬間をどう感じていたのか、言葉として表現してくれているエッセイは今の私にとって重要な学びの一つです。
特に今回は小川糸さんの難民という言葉の話と身近な人の死についての話が、あまりにもタイムリーで心にグッと引っかかったし、群ようこさんのお母様との話も色々と自分に考えさせられることがありました。偶然手にした本に、いずれも今の私に必要なことが書かれていて、こうなってくると偶然は全て必然であるという理論にも頷きたくなるものです。






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