目に見える変化と見えない変化

最近アメリカから一時帰国中の写真家さんとお話しする機会がありました。

来月からメキシコに移住することが決まった若いカップルとお話しする機会もありました。

こんな状況下だけれどなんとかヨーロッパ移住を決行するという人の話も人伝てに聞きました。

湘南がコロナの影響で人が激増して東京みたいに混雑してきたから長野や宮崎、沖縄、九州方面に引っ越すという人の話も聞きました。それほどの遠くではなくとも鎌倉・藤沢・茅ヶ崎から、落ち着いた生活を求めて小田原や三浦方面に脱出するという話はこの一年でたくさん聞きました。

いつの間にか近所のお友達が散り散りになり、みんながそれぞれにコロナ以降の新しい生活スタイルを確立しようとしている時期なのだと感じます。


どこに住んで、どんなことをして、生きるのかは
本当に考えさせられることで、
そして熟慮している間にも時代はどんどん急速に変化していきます。
日本は今は世界的にみてもとても物価の安い国になり、チープジャパンまっしぐら。
アメリカの一部の豊かな人たちの間では、日本に移住したら安く家も土地も手に入り快適に暮らせると、日本での暮らしについて今非常に話題が沸騰しているのだとか。
アジアの他の国の人たちも日本で働くために日本語を勉強したい人がたくさんいた時代の終わりが見えてきたそうで、今は英語は当然の基本として、他にはスペイン語か中国語、ドイツ語などを学ぶ人が増えてきているそうです。


こうなると、日本語を専門とし、喋ったり書いたりしてきた私としては、悩ましいところではあるのですが、それでも美しく正しい日本語を伝えられるように私に出来ることを頑張りたいなと思います。


いろいろな国を拠点にする人たちと話す中で、最近感じたのは、私が小さい頃から当たり前だと思っていたことは、他の人にとっては全く普通ではないことかもしれない、ということです。


たとえば、子供の頃に聞かされた昔話や言い伝えについて。
祖父母の家は秋田の海辺の地域だったためか、夜になかなか寝ないで遊んでいると「早く寝ないと海からモッコがくるよ」と言われていました。
モッコが具体的にどんな見た目でどんな大きさなのかなどは分からずじまいなのですが、遠くの海から来て寝ていない子を攫っていく恐ろしい何かである、という認識でした。


他にも、河童の話や龍の話、座敷童の話なども、普通に知っていることであり、何気ない会話に登場するものであったので、特殊な地域の特別なものという意識がありませんでした。


けれど大人になってみれば、それらはちょっと不思議なことであり、全国津々浦々普通に語られていることではないことを知りました。
まして日本語を話すけれど日本に拠点がない人たちにとっては、それらは本当に摩訶不思議でスピリチュアル感満載なことに感じられるようです。


山に入るときには山の神(神なのか精霊なのかそれすらも曖昧な何かと幼い私は捉えていました)に感謝をしながら入る、だとか。
山の湧水を汲むときもありがとうと思いながら必要な分だけを少し分けてもらうという感覚、だとか。


日本は八百万の神の国だとかアニミズム信仰が根付いていただとか、文化的にはいろいろな分析がなされていますが、最近はこの小さい頃から当たり前にあった心構えのようなものを、今一度しっかり思い出さねばならないような気がしています。


朝起きて、日が昇ってくるのを感じて、瞑想する時間。
呼吸をしながら、今日も生きていることに感謝すること。
目には見えなくとも「そんな気がする」という感覚を決して無視しないこと。


鈍って錆び付いてしまった感覚を、少しずつ取り戻しているのを感じます。

焦らなくても、自分にしかない何かというのは、ちゃんと本当はすでに手元にあって、
ただ少しだけ忙しかったり何かに埋もれてしまって、見失っていただけなのだと気付く今日のこの頃です。





トップスもボトムスも、友達が作っている服。いつかクローゼットの全ての服が顔が見える生産で繋がっている服になったらいいな。
トップス:「三村養蜂場の」の一点物
ボトムス:「Maika Hand Works」のチェンマイコットンに藍染めのスカート

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