海水浴シーズンはとっくに終わり肌寒い風が吹き荒んでいるにも関わらず土日や祝日は海が混雑するようになって、とても不思議な光景が広がっている湘南の日々です。新しい生活様式は様々なところに様々な変化をもたらしているのだということを、最近特に感じます。
湘南界隈の何軒かの不動産屋さん曰く、今年は通年の忙しさのピークとは全く違う動きが発生していて、通常ならばこれからどんどん空き物件が増えていくはずなのに、ピークが夏に来てしまい、今一番物件が少ない状態なのだとか。それと同時に、街の空気が東京のようになってきたのを理由に湘南の中でももう少し静かなエリアへと引っ越す地元の人たちも増えている様子です。
ああこうやって、住む人が変わりお店が変わり、街全体に流れる空気と地域の色は変わっていくのだなあと、いろいろな場所で実感しています。
この日々で学んだのは、永遠というものはどこにも存在しないのだということ。
存在しない、というのは少し言い過ぎかもしれませんが、維持しようという余程の強いエネルギーが働かない限り、永遠に同じ何かがあり続けるというのは不可能に近いのだと思ったのです。
そんな中でもなんとか、静かでゆったりとした気持ちで自分自身を見つめる時間を作ろうと、消費行動を今一度見直してみたり、行動パターンを変えてみたり、やることが山積みでもなんとか時間を作って平日の浜辺でウィルさんと二人、海の波を眺めてみたり。私自身もこの新しい時代との向き合い方に未だ試行錯誤の日々を過ごしています。
最近は主に書籍を通じてですが、世界の様々な場所で私自身とは違う生き方をしている人たちについて学ぼうと思い、本をきっかけにインターネットで調べてみたりもしながら、まだまだ知らないことが多いのだと改めて痛感しているところです。
今年自分が40歳になったことや、親族が突然亡くなったこともきっかけとなって、自分自身と家族の人生の残りの時間についていろいろと考えさせられました。何歳だとしても明日絶対に死なない補償なんて無いのだけれど、私は一体あとどれくらい会いたい人に会いに行けて、行きたい場所に辿り着けて、まだ予想もできないようなワクワクするチャレンジができるのだろうかと、それらを全て地に足をつけた問題として具体的に考え始めたのです。少し難しい言い回しになってしまいましたが、やや乱暴にまとめるならば「本当に本当に、どう生きたいのか」という話なのです。この問いに正解は無いと思いますし、自分自身ですらもこれで良かったのかなんて死の直前ですら判らないかもしれません。それでも、日々「どう生きたいのか」という難問に向かい続けたいと思うのです。
「自分のやりたいことを誰かに嘲笑されても、やり続ける勇気がありますか。」
「自分の心の声を、信じることができますか。」
「失敗に絶望しない信念を持てますか。」
「友が本当に困っていたら助けに行き、自分が本当に困った時に助けてと言えますか。」
そういう、ある種綺麗事にも見えるような、けれど当たり前の事ような問答を自分自身の中で繰り返しています。
成りたい人に成るためにこの仕事と生き方を選んできて、その成りたい人像というのは生きていく中で常に少しずつ更新されています。
それでも今ここで大幅なアップデートが必要な気がしていて、大幅なだけにやや慎重にもなり、既成概念に絡め取られ無いように十分気をつけながら、新鮮な心の目を持ち続けられるようにと、少しおどおどしながらも、探り探り進んでいるところです。
まりさん、久しぶりのビイアミーの投稿ですね、先月極めて体調が悪く救急車で市立柏病院に運ばれ最初肺膿瘍でしたが医者から右膿胸に変わりました、先週金曜日に退院しました。その後は極端に忙しかったです。ps肺の病は癌同様に極めて重い