海外と日本と、便利と不便と新しい時代

おかげさまで主人・楠哲也のバンコクでのグループ展は無事にスタートを切り、初日は大きな会場でアーティスト トークにも出演させていただき、更にはバンコク ポストさんにもご取材いただき記事を紙・オンライン共に掲載していただきました。







Photos by Preecha Pattara


この度お世話になったバンコクのギャラリスト、キュレーター、展示スタッフの皆様
そして新聞社の方々や、お忙しい中会場にお運び下さった皆様、本当にありがとうございます。展示はまだ続いていますので、お近くまでいらっしゃる機会がありましたら、お立ち寄りいただければ幸いです。


My husband's a first series of work "American
Monuments" started showing on the Photobangkok as a group exhibition at River Side City Gallery. Thank you for all so your kindness, thank you gallerists, writers, photographers and many local people!!(of course coming and
enjoying tourists). If you come nearby, please stop by the event of Photobangkok 2019.


ここ最近は家の仕事の兼ね合いから、日本以外の多くのアーティストさんやギャラリストさんと接する機会が増え、主人を通じて本当に貴重な経験をさせていただいています。
主人は国外へと出て行っての展示が続きますが、逆に日本以外からいらして、日本での展示を希望されているアーティストさんと関わることもあったりする中で、お互いそれぞれの「国外」での展示ならではの難しさや面白さなど、日々学ぶことが多いです。

私たち家族にとっての少しだけ新しい仕事の展開とともに、どう生きていくかという、短期的なものと中長期的なものでの考えも今年に入ってから巡らせる機会が増えたように思います。正解はどこにもないし、決めるのは自分たちしかいない。だからやってみるしか方法はなくて、まさに暗中模索ではあるのですが、その都度、自分たちらしいと思える方向を選んで進んでみるしかないなあ、とぐるぐると考える夏でもありました。


半藤一利さんと池上彰さんによる対談の共著『令和を生きる 平成の失敗を越えて』(幻冬舎新書)を最近読み終えたのですが、この本によって自分の記憶にある平成という時間を改めて大人の目線で振り返ることが出来ました。わたしは昭和生まれですが、平成の元号が発表された当時はまだ小さくて、なにがなんだかよく分からず、周りの大人たちが真剣に報道のテレビ画面を見つめていたというくらいの曖昧な記憶しかありません。
けれど改めて本を通して振り返ってみれば、本当に多くの社会的に大きな出来事があったのだなと認識しました。
そして同時に、本当に加速度的に時代が動き、システムが変わり、それはこれから先の時代にもどんどん速度を上げてしまうかもしれないのだ、とも感じました。
インターネットの普及により、沢山の情報が手元に比較的スムーズに届くようになりました。そして自らわざわざ重い腰を上げなくとも、それらの膨大な情報は次から次へと人々の元へ降りかかってくるのです。とても「便利」な世の中です。

以前、アメリカ人ですが近所に暮らす友達と他愛もない話をしていた時に

The convenient place makes the convenient people.

という言葉が閃いたことがありました。

「convenient place コンビニエント プレイス」 つまり、「便利な場所」
たとえばちょっと歩けば道沿いに大きなスーパーマーケットが何件もあり、その合間には早朝深夜も営業するファストフード店があり、その隣には24時間のコンビニや遅くまで開いているドラッグストアがあり、さらに通りの向こうには巨大ショッピングモールまであり映画からファッションや日用品までなんでも揃う。それらの便利なお店の間には高層マンションが建設されている。
この状況はある一定の規模の街だけに見られるもので、日本の中にも静かでのどかな場所はありますが(うちの秋田の田舎のあたりがそうであるように)、あまりの便利さに自分の中のなにか大切な部分を見失ってはいないだろうか、と不安に思う時があります。
私の周りにいる20代、30代の人たちは、私も含めて、一時期どっぷり便利に浸かってみて、そしていま、「あれ?本当にこれで良かったのかな?」と思い始めている人が多いように思います。

これからの時代は特に、自分自身の限られた時間と、周りから降り注ぐ膨大な情報を、どうコントロールして、どういう距離を見つけていくのかを、より意識的に考えながら注意深く行動しなくてはいけない時代になっていくのかもしれませんね。

私自身まだ明確な答えは持っていないし、どうしたらいいものかと考えているだけなのですが、最近ひとまず実戦してみているのは、スマホを手放す時間を意識的に作ること。もちろん仕事の電話やメール連絡が来ることがあるので、それらの端末はすぐに認識できるようにはしてあるのですが、例えば電車で移動している時に手に持って歩いているのはスマホじゃなくて文庫本とか。そういうどうでもいいくらい小さなことをやってみて、情報との距離の取り方を見つけたいなあと模索しています。


なんかひさびさに長くなっちゃったなー

最後に最近読み終えた本たち。








キリン研究者の郡司芽久さんの『キリン解剖記』(ナツメ社)を読みながらしきりに自分の首の骨を触ったり首を前後左右に動かしてみたりしていました。

長くなり過ぎたので英文はおやすみです。

コメント

ご主人の海外でのご活躍、これからも大いに頑張っていただければ、と思います。と同時に、日本でも、特に、地方で、作品を見ることが出来たらなぁ、と思います。また、ゆったりとした時間の流れを感じることが、人としては必要であるし、有限である時間を使うメリハリを常に考えることが大切ではないかと、ふと思いました。。。

みーまる 2019年08月31日

空気と水のように普段の生活ではあまり気にもとめないものが一番大切なものだと言うことをふと振り返る機会と余裕は必要ですよね

Kyo 2019年08月31日

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