会話

仕事がバタバタしていない時、
コーヒーを飲みながら、私たち家族はよく話をする。
時にそれは数時間に渡ることもあり、お互い休みの日が重なれば、1日中、ご飯や日常の作業をはさみつつ延々と続けられることもある。

家族内の会話の内容というのは、各家庭それぞれだろうし、思い返せば自分が幼かった頃、家族でどんな会話をしていたのかはあまり記憶にない。
おそらく、学校でどんなことがあったのか母に質問され、それに答えていくというようなものだったのだろう。私自身に発言した記憶がほとんど残っていないものの、母からはそんな思い出話を、大人になってから聞いたこともある。

いまの私たちは、もちろんその日にあった仕事についても話すこともあるが、それは一言二言程度のいわゆる「日報」の類だ。
「今日はどうやった?」という一言に、「ぼちぼちやな」とか「スムーズやったわあ」とか、その程度である。
では家族内の会話として、何をそんなに話しているのか。要約してしまうと「我々にとってのより良い人生とは」という話だ。我が家はどう生きるべきか。どう生きたいのか。そんなことをあらゆる角度から検証している。検証というと言葉はやや大袈裟だが、つまるところはそんな所なのである。

最近の話題は来月に開催される主人のバンコクでの個展についてや、それに絡めてまた日本からしばらく居なくなるにあたりどんな行動計画にしていくかなど、私はもちろん日本にいてお仕事をしていくわけだけれど、家族会議によりこれらの細かいあたりの相談が成されていく。
この場合はまずは主人本人のプランがあり、それを私に対して主人がプレゼンテーションをする。
その最後に「どう思う?」と言われるので、率直な意見を返答し、そこから話を深めていく。これがだいたいの主なパターンだ。
アートについて、人生について、家族としてのあり方について、全てを総合して話をしていく。時間はいくらでも過ぎていくのだ。

先日、とある尊敬するコーヒーマスターの皮をかぶった真摯なアートキュレーターと、最近我が家でこんな話をしてた、という会話をしたことがあった。
その時に「それってどんな時に話するんです?ご飯食べてる時とか?」と言われた。「ご飯食べてる時も、コーヒー飲みながらとか、別にいつということもなく、いつでも」というようなことを答えると、面白いと言われたのだ。

そこではたと気がついた。
これは「一般的な」(と思われている、もしくは多くの日本の家族の例である)家族のお茶の間の会話というよりも、議論、ディスカッション、ブレストなどと言われるものが、私たちは自然としたくなり、言語を使ってやりとりしているのかもしれないと。

例えばドラマなどで「家族の食卓の会話のシーン」があったとしよう。
そこで話されるセリフはよほど変な家族を描写しようと意図しない限り「現代アートの最近の流行り」とか「人生にとって大切なことはなにか」とか「自分の興味の根源はどこにあるのか」なんていう内容は台本には書かれないはずで、それらはどちらかと言えば何らかの会議のシーンで使われるセリフだろう。

この私たち家族の会話の中では、お互い特に気を遣うことが少ないので、気兼ねなく思ったことをポンポンと放り投げるようにして場に提示することかできる。それはやはり家族だからという甘えと、それゆえのメリットでもある。
他人との会議であれば、いくら率直な意見を言うようにしていても、あまり他人が落ち込むような意見は控えたりもするし、遠慮がある。批判はしないし、あえて言うのであればよほど相手のことを真剣に考えた上で、相手との絶妙な距離感も考慮しながら発言することになる。

家族だからこそ、「それは違うと思う」とか「それはちょっとぬるい考えではないのか」、「それは表面的な話だ」とか、他人が言われたらムッとするような返答もしていけるのだ。
大事なタイミングであればあるほど、「それでは(意見として)弱いよ」とか、「それでは勝てっこないよ」とか、ズバッと切り込んだりもする。
ただしその後に、ならばどうすればいいのかを一緒に全力で考え、改善の糸口が見つかるまで責任を持って話し合う。否定だけして放り出すことはしない。
すぐに解決策が見つからない時は、どこを変えればいいのか問題点をまず明確にする作業を、一緒にしていく。


頭をたくさん使う時間なので、慣れるまでは頭が疲れたなあなどと思うこともあったが、今は日常の中で自然と生まれる時間になっている。

また来月からは日本と海外のバラバラ家族生活がスタート。今回は短期間だけれど、今はそれに向けて、時間を有意義に過ごしながら、協力して準備を整えていきたい。













Our family take good care of the time for talking each other. The theme of these daily conversation are about our life, art, what is happy, what is truth in this world...
It's not general conversation in Japanese family. But we have that time.
You may talk with someone else on the meeting time as discussed for some businesses. Our style is not usual one. But we enjoy it.
As we are a family having strong connected heart with each other, we can say many straight and candid opinions frankly.
We are telling each other without fear for our best life. And if I have some objections, I try to think about another way or some solutions, and we try to put out many ideas for the next step together.
It may not suit for othnr family's relaxing time at home, but it is important thing for us. This is our style.

On this April, Tetsuya Kusu's solo exhibition is held in Serindia Gallery at Bangkok(Thai).
We will have separated time physially between Thai and Japan.
I trust his successful time about that.
And, I have to do My best in Japan!

コメント

たとえ仕事関係でも、夫婦の会話は大切ですね。

taka 2019年03月13日

会話のある時間は素敵ですね
たわいのない話でも相手がいると楽しくなりますよね。
会話は大切ですね

Kyo 2019年03月12日

海外で良い作品が沢山撮れたら、ぜひ地方でも個展を開いてくださいね。そして、その時は、ぜひお二人で来てくださいね。まりさんの仕事の都合がつく限り。。。

みーまる 2019年03月12日

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