海から来たしゃぼん玉屋さん

穏やかな午後に、しゃぼん玉屋さんに出会いました。

しゃぼん玉屋さんは、波打ち際で、
優しく打ち寄せる海を背に、
次から次へとしゃぼん玉を生み出して行きます。

大きなしゃぼん玉は
くにゃり、くにゃりと形をゆがめながら
ゆっくりゆっくり、海から街の方へと飛んで行きます。
重すぎて、あっという間に割れてしまう大きなしゃぼん玉。
その不安定な虹色が、1つ、また1つとしゃぼん玉屋さんの手で作られます。


たくさんの小さなしゃぼん玉は
一度にたくさんの玉になって飛び出して行きます。
海から吹いてくる優しい風が何個も何個もしゃぼん玉を吹き出します。
まるで、しゃぼん玉のテーブルクロスを、砂浜の上に広げたみたい。


駆け寄る子供。

写真を撮る女性。


飛んで行った小さなしゃぼん玉に誘われて
どんどん人が集まってきます。


私は遠くからその様子を見ていました。

浜辺に座って
冬の日の貴重な日差しのぬくもりを感じながら

何にでも興味を持って近寄って行く私にしては珍しく

なんだか遠くから見ていたいような気がしたのです。


しゃぼん玉屋さん


直接話を聞いたわけでも
しゃぼん玉を売っている様子だったのでも、
大道芸人のようにお金を入れるものを目の前に置いてあったわけでもなかったのに

なんとなく自然と出てきた言葉が

しゃぼん玉屋さん

でした。


ふと、そんなものもあるのだろうかと
急に気になり、
「しゃぼん玉屋さん」で検索。

すると
江戸時代にあった「玉屋」に行き着きました。

江戸時代末期、
しゃぼん玉を吹きながら
しゃぼん玉液と藁で作ったストローを売り歩いていた「玉屋」と呼ばれる行商がいたのだとか。

そう、このように、「しゃぼん玉屋さん」と言えば
しゃぼん玉を売る人、
もしくは
しゃぼん玉エンターテイナー、大道芸のように、しゃぼん玉を見せることを仕事としている人、などを指すように感じるのですが、

どういうわけか

海で出会った
しゃぼん玉を作り続けていた人を見て

しゃぼん玉屋さん

と私は思ったのでした。


その手から生み出されるしゃぼん玉が
あまりにも生き生きとして、美しく、
その技にすっかり魅せられてしまったからかもしれません。

ずっと見ていても飽きずに見続けられるしゃぼん玉。

海の風はこんなに優しく静かに、でもしっかりと遠くまで流れて行くんだよということを
しゃぼん玉屋さんが見せてくれたような気がしました。

コメント

今日は、いいものを見ましたね。チューリップ

そして、また見る事が出来るといいですね。さくらんぼ
なにか、懐かしい感じに捉われるような気が
しますね。☆

まるみる 2012年12月17日

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