私にとってのパワースポットはいくつかありますが、やはり生まれ育った故郷の空気は、格別な気がします。
海の近い学校で中・高を過ごし、校舎の窓からは駿河湾が眺められる。遠浅の海は放課後に友達と語り、岸の向こう側に見える灯台を眺めたこと、夕日をいつまでも眺めて自分の未来を想像したこと、
家から見える小さな山の斜面には茶畑が広がり、どんな季節であっても緑の小高い丘が広がる。
ほとんどの土地は田んぼが占め、水田には潤いが保たれ、点在するご近所の家。
いつも緑に囲まれて、よく風が抜ける場所。
この風景を見るといつまでも褪せない思い出の懐かしさと安堵感に癒やされます。
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写真は、西伊豆の大瀬崎。
同じ静岡県ですが、行ったことのない場所でした。
この突端にある神社「引手力命神社」に行ったとき、ビリビリと電気が走るように、力強いエネルギーの波動に驚きました。力強い空気を全身で感じるくらいでした。
あとで調べたら、多くの名だたる武士が刀や弓を奉納していたとか。武士にとって刀や弓はとても大事なもの。それだけの理由があるということですね。
そして目の前には海越しに位置する富士山。
太陽が水面に反射して、光の光源が海の中にあるみたい。海面から湧き上がったように遠景に見える富士山の神々しさは思わず祈りたくなる。
外海なのでときおり激しく波が打ちつけ、遠くで石が海を転がる音はゴロゴロと空をつんざく雷にも似た音でした。得体の知れないとどろきが響く一方で、海は静かな凪で心が落ち着きます。
そんな海を眺めながら2時間ほど、のんびり過ごしながら、しばし瞑想をしてみようと目を閉じていました。
目を閉じても広がるのはどこまでも続く果てしない海で、その海は宇宙のように広大で茫漠と、美しく、すべての生命を抱きしめている。
だだ眺めているだけで
心のおく深くから感動が沸き起こって、
自分がいる、いのちがある、地球を感じている、
そのことがとても幸せに思えました。
地球にあふれる美しい命の個体、備わった力、神秘はあまりに大きすぎて
それだけで心がいっぱいになります。
地球って素晴らしい。
もっというと日本って本当に素晴らしい。
こんなにも素敵な場所があって、 わたしは今とても素晴らしいものを見ているんだ。
いつも寄り添うように心のすぐそばにいて
どんな時も背中を押してくれる自然界。
私の心身を育ててくれたのは、両親であり、ご先祖さまであり、この地球そのものなんだな。
写真は、御神木「びゃくしん」という木です。
この太い脈のうねりの力強さ。
そして位置は、ちょうど海と富士山を正面から眺められる岬にあります。
推定樹齢は一千五百年以上。
…吹きさらしの強風や海水の飛沫にも負けず、こんなにも長い月日をこの岬で生きているなんて。
一千五百年以上という歳月にこの木肌を通じて触れることができ、あるがままの老樹の姿を見ることができる。
そっと寄り添いびゃくしんの鼓動に耳を傾けます。
しばらく眼を閉じて、この木に刻まれている計り知れないほどの長い年月を想像しました。
今世紀も、今この時も、ともに歩んで歴史を伝えてくれている。
静かに海と大地を見守ってくれている。
尊い老樹。
さらにこの岬には、神池と呼ばれる池があるのですが、ここは何の波動もなく、ただ静かな池があるのみでした。
つまり「無」であったのです。
きっとこの「無」の力はここにある「有」の力を緩和するためにあるのだろうな。
エネルギーの調和を保ちバランスをとるための役割をしている淡水池なのだろうと思いました。
海に囲まれながら、淡水という神秘的な力をもつ池です。
あらゆる自然のもつ波長を肌で感じることができて、五感が研ぎ澄まされた感じがしました。
すべて個人的な感想なので、感じ方は人それぞれ違うと思います、
しかし私にとってひとつの岬にこれだけの力をもつものが点在しており、その力を肌で感じることのできるパワースポットは、滅多にないので人生で貴重な体感でした。
また必ず訪れたい場所です。
海と地のエネルギーが蓄えられているようで
言葉には表せないほど感覚的な部分でしっかりと受けとることができました。
次の記事でコメントのお返事します♪
背中にビリビリ? 西伊豆 おいおい 最近話題の
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150722-00050210-yom-soci
おじさんは鈍いから 霊感とか色々な物 感じたりした事は無いけど 感じる人には色々と感じる事多いようだね
直接触れられるご神木などに手や耳を添えると自然の鼓動を感じたり なんて事もあるようだよね
おじさんも感性を研ぎ澄ます練習をしてみようかな でも煩悩などの影響で怖い結果が現れるのが・・・