静寂とイマジネーション

さて、着付け教室からの初めての能楽観劇。
いよいよ観劇スタートです。

まず、能「鱗型」
能は、優雅で美的情趣に彩られた象徴劇。
北条時政が江の島の弁財天から三つ鱗の旗を授かるお話です。

始まって、舞台上には誰もいない、何もない。
そもそも舞台を隠す緞帳がないんですね。

まず囃子やコーラスの地謡などが、ゆっくりゆっくり登場。
ほとんど音が立たない世界。
小道具もゆっくりゆっくり準備。
やっと役者が登場。
台詞の意味が分からないのではと心配だったのですが、座席に字幕パネルがついていることも助けになり思いの外理解することができました。
「〜なり」「〜候」など古典の授業を思い出して懐かしかったです。

続いて、狂言「舟船」
舟を「ふね」と読むか「ふな」と読むかで古歌を用いて言い合うお話。
狂言は、笑いを基調とした対話劇。
何気ない題材なのですが、コントみたいでおもしろかったです!

ここで、休憩。
息抜きに中庭に出て撮ってみました。
自撮りなので庭の様子が全く写らず…。

すると、写真を撮りましょうか?と声をかけていただいたので、恥ずかしながら一枚撮っていただきました。

そして最後は、能「唐船」
唐と日本との戦いの中で、日本に留められている唐の老人。日本にいる13年の間に2人の子どもが産まれました。
そこへ、父親が生きているときいて船で迎えに来たのが唐に残してきた子どもたち。
唐の子どもたちと一緒に帰りたいが、日本の子どもたちと別れたくはない。
それなら一層身を投げよう。
その様子を見て、日本の子どもたちも一緒に唐に行くことを認められるというお話です。

子どもが登場するので、4人の子役も演じていました。
澄んだ高い子どもの声は能楽堂に良く響きます。
手がプルプルしながらもじっと我慢して動きを止めている様子に「がんばれ!」と母親みたいな気持ちに。
注目してほしい部分しか動かないことで、スポットライトのような効果があるように感じました。
ゆっくりした動きは現代の動きに慣れているとじれったさがあるものの、スローだからこそ、いつの間にか旗が立っていたり、幕がなくとも自然と舞台転換が行われる。
能が彫刻的だと言われる意味もなんとなく分かった気がします。

主人公が能面を付けることで、観客が主人公に感情移入しやすいように思いました。
同じ面が笑っているような気がしたり、泣いているように感じたり。
最後の演出は、観客の想像力なのかな。

着付けを学びたくて参加した教室でしたが、意外や意外、能楽の面白さも発見することができました。

教室は終わってしまいましたが、痛感したのは着付けは体で覚えるものなのだということ。
しばらく着ないと忘れてしまいそう。
機会を作って着たいと思います。
しかし、もとは着物は日本の普段着だったわけで。
気合いを入れずともサラッと着物を着られる人になりたいな。

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