金額とその価値について考えることがありました。
私たちは手持ちのお金の中から
お金という形での対価を支払い
必要なものや、欲しいものを手に入れています。
個々の範囲の中で
その時々に合わせて収支が合うように
どこに使うか割り振っているわけですね。
例えばそれが
知識に関するものだったらどうでしょう。
何かの講座を受講する。
受講料が発生するわけですが、物質的なテキスト等以外は形がないので、
対価として捉えてもらいづらいこともあるのかもしれません。
「最近の日本ではすべてがお金で買えるという考えの方が主流なのかもしれません。でも、人が得るものは、そこに達する経路や過程にある。そこに自分の存在をどれくらい懸けられるか。ある意味の自己犠牲です。実際に宇宙にいた時間は、たったの十三日二十一時間三十二分。でも、ぼくが宇宙へ行った意味は、「九年間訓練して、待って、命を懸けた」その全プロセスにある。いや、ぼくの四十年間の人生そのものにあるといってもいいのでしょう。だから、それを含めて全部お金に換算しろといわれても、ぼくにはできないのです。」
これは『オンリーワン―ずっと宇宙に行きたかった―』(新潮社)で宇宙飛行士の野口総一さんが書かれた本の中で野口さんが述べていることです。
努力したからこそ、
きれいごとではない本物の、
お金に簡単には換算できない価値がそこにあるんだと感じます。
一方で、やはり人間は
生きていくために働き、生活資金を得て行かなければならないのも事実。
『100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影―』(新潮社)
春日真人さんが書かれたノンフィクションで
NHKスペシャルの番組と連動した本です。
あの有名なポアンカレ予想を解いたペレリマン博士に迫るドキュメンタリー。
この中でアーサー・ジャフ博士は
ポアンカレ予想を含む世紀の難問に賞金がかけられたことについてこう述べています。
「あなたは、アメリカ人の生き方をまったく理解していない。もし政治家やビジネスマンまたは主婦が、数学をやることによって100万ドル稼げることを理解してくれれば、彼らは子供が数学者の道を選ぶのを妨げたりしないだろう。」
知識に対する
具体的な金額というのは
とても難しく、捉えづらいものなのだと改めて感じます。
とても複雑ですね。
物品なら材料の原価に値入れを入れて販売額を算出出来ますが、経験などを
お金に換算するのは基準がないから難しいですね。
お金に換算出来ないから価値があるんでしょうね。
でも、経験談は