まず人間の目の不思議について。
そして述べているのが
芸術家さんであるということ。
『目玉の学校』(筑摩書房)
赤瀬川原平さんが書かれた本です。
ちょっと知識があったらもっと美術作品が面白く観られるんじゃないかなと思い、
最近は美術の勉強もたまにしています。
去年は美術検定3級に挑戦。無事に合格できました。
日本の美術史を学んでいると現代のあたりで
必ず出てくるのが
「ハイレッド・センター」
これは高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之という3人の芸術家により結成されたグループで、
彼ら3人の頭文字、高・赤・中を英語に直したものから命名されています。
美術史の遠い記憶の中で
あれ、この著者どこかで見たことが…と思っていたのですが、
「ハイレッド・センター」の話が本にも出てきて
ああ!そうだそうだ!と合点がいきました。
他にも、美術史にも必ず登場する
読売アンでパンダンのことや、
トマソンの話も本の中で語られています。
他にも
「絵の中で雨を千で描くのは日本人だけらしい。」
とか、
いつも見ている千円札の絵柄を紙に描いてみて、
と言われると、ちゃんと描ける人は皆無だとか、
面白いエピソードも交えながら
目の不思議に迫っています。
「ものを見る目を広げるのに、強い作用を及ぼすのは人生である。とりわけ人生に含まれる挫折の層が、目を広げてくれる。」
昔観た絵画や映画を、大人になってもう一度観てみると
当時とは違った感想が沸き起こってくることがありますよね。
観る、ということは、
その人の心の在り方に大きく影響を受けるものなんだなと
改めて思いました。
最近は3Dブームですが
「世の中のものはみんな立体であり、人間はいつもそれを見ている。だから立体写真が立体に見えたからといって別に感動はないはずだけど、実際には感動する。なぜなのだろうか。たぶんあり得ないものがあるという、そのことに感動するのだ。」
2005年に出た文庫でしたが
赤瀬川さんは随分前から3Dの感動の根本的な部分を分析されていたんです。
「目の前の写真はペラペラの平面なのに、その映像だけがいきなりぐんと立体に見えることの驚き」
確かに3Dの映像も、「あり得ない」とどこかで思っている心が
大きな感動を作り出しているのかもしれませんね。
見ているようで見ていなかったり、
気持ち1つで違うものが見えたり。
人間の目は事実を写しているようで
かなり不確かなものでもあるんですね。
目の中に自分が本当に見ていたい物の眼があるのかもしれませんね。それは人によりけりである。私はそう感じますね。