失ったもの

なくしました

ダイヤのネックレスとプラチナの指輪。


それは、とても大切なものでした。

いつも身につけていたので、当たり前のようになっていましたが、それは私にとって、とてもとても大切だったようです。改めて、そう、気づきました。そして、いつも思う。それ程、大切だということに、気づくのが遅すぎるのだ。と。

ネックレスは、20歳になったときに母がプレゼントしてくれたものでした。持っているとカジュアルにもフォーマルにも対応できてどこへでも付けていけるから。と。もらって以来、どこへ行くにも、ほぼ毎日付けていたものでした。

指輪は、母が19歳の頃、結婚の約束をしたときに、父からプレゼントされたものでした。私が20歳のときに父が他界し、そのとき、これからはあなたがもっていなさいと、母がくれたものでした。つまりは、父の形見。ということは、私にとってだけではなく、父のことを大切に思うみんなにとって大切なものになるのです。母が19の頃ということは、約40年経つわけで。40年分の思い出が詰まっているわけです。父と、母の想いがたくさん、たくさん詰まっているのです。お仕事など、外さざるを得ないとき以外は、いつも右手の中指か薬指に付けていました。それは、嬉しいときも悲しいときも、楽しいときも辛いときも、いつだってお父さんとお母さんを感じさせてくれ、また、安心させてくれました。


友達は、「大事な物を無くす」人生で二回くらいある。そんな時は、大切な物を無くすということはその人の身代わりになって災いから身を守ってくれたという言い伝えを信じるようにしている。と、言いました。無くしたことに、何か意味はあるのだろうか。何かから私を守ってくれたのだろうか。今はまだ、そうは考えられない。ただ、身代わりになってくれたと思えば、少しは立ち直れなるような気もする。いくら高価なものでも、自分で買ったものなら、諦めもつくのに。何度もそう思う。


どこかに落としてしまったであろう、私の大切なもの。首元も、左手の薬指もなんだか寒々しい。いつもあったものが、なくなってしまった違和感。この違和感はきっといつかは無くなるのだろうし、またいつか、新たな大切なものができて、それを付けているかもしれない。

でも、無くなったネックレスと指輪がとても大切なものだということは、いつまでも変わらない。どこかにある、その大切なもののことを思ったり、忘れたりしながら思い出や、想いを心から大切にしなければ。思ったり、忘れたり。

忘れたころに、出てきてくれると1番良いのだが…

指輪を一番大切に思っていたのは、絶対に母だ。だから、いつか、お母さんには指輪をプレゼントしようと思う。私の体には父の血も流れているから。父がプレゼントした指輪のには適わないかもしれないし、そんなことで、失くしたことが無しにはならないが、ほんの少しでも母の思い出を埋められたら良い。本当にほんの少ししか埋めることはできないと思うが。





色んなことを考えさせてくれたことだけは、感謝する。だから、そろそろ私のところへもどってきてはくれないだろうか。


待ってる。






阪田瑞穂

コメント

どこで無くしたか、よ〜く自分の行動を振り返ってみましょう。

最後に付けたのはいつ頃どこで、最後に外したのはいつ頃どこだったか。

順々に思い出して行けば、大切なものに辿り着けるかも知れませんよ。

大切なのは諦めないこと。

レディオヘッド 2011年02月23日

大切なものをなくすという事は、ホントに辛いことだと思いますけど、
人生で起こることすべて意味がある事といいますので、
何かのメッセージだと思いますよ。
あと忘れかけている時に、ふと見つかる事がよくありますので、
戻ってきてくれるかも。
待っていましょう。

おれがの 2011年02月22日

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