長井鞠子さんの『伝える極意』

英語の勉強は大切だが、やはり日本語の勉強も同じくらい重要だ。
日本人として生まれ、日本語ネイティブとして育ってきた私だが、やはり日々かなりの努力をし続けなければ日本語力は低下してしまうと感じている。
それは日本語を日常で使う、というだけでは決して補い切れない部分だ。
小説を読んだり、ノンフィクションを読んだり、詩を読むこともあれば、文字や言葉から離れてアートを観ることもある。

自分の心にしっくり来る言葉が、胸の奥から淀みなくわき出るように、日本語力を磨き続けなくてはならない。使いこなせていると思い込みがちな母国語なだけに、意識して向かい合わなければ、なかなか自由自在には操れないものだ。

ならば英語を自由自在に、となるには一体どれだけの年月を要するのだろうかと、考え始めてしまうと気が遠くなる。
しかし千里の道もなんとやらだ。
ごちゃごちゃ悩む前に、少しずつでも挑戦し続けるしかない。

更に、他の言語に触れることで、改めて日本語の美しさに気付かされることも多い。
「〜が、」なのか「〜は、」なのか。意味はほぼ同じでも音の響きは全く異なり、それによる前後の流れへの影響は多大なものとなる。たった一文字の助詞によって、色や響きの美しさが大きく変わってしまう日本語の繊細さに気がついてしまうと、発音する時に助詞を省くなんてことは出来なくなる。ガサツな響きはガサツな行動に繋がり、たった一文字からガラガラと大切な部分が崩れ落ちるのだ。

英語も学びながら、改めて、日本語の美しさとその心も決して失わず、学び続けて行きたい。


長井鞠子さんの『伝える極意』(集英社新書)を読み終えた。
1970年代から通訳者として国際会議など世界の重要な場面で活躍を続けている長井さん。彼女が実際に仕事をしてきた現場での体験談を交えながら、異なる言語間でのコミュニケーションの難しさや真意を伝えることについての考えなどを述べたエッセイだ。

長井さんご自身もこの本の中で書かれているのだが、言語は道具なのである。英語は誰かに意見を伝えるための手段であり道具でしかない、というのは私自身も英語を学んでいるうちに最近感じるようになったことだ。

英語を主に話す人でも心の中は日本人みたいだなあと思うこともあれば、日本語を話している人でもなんだかアメリカ的な思考回路を感じるなあと思うこともある。つまり、まずは「何人だからこういう考え」という判断そのものがナンセンスであり、言語や文化に影響を受ける思考回路はあれど、やはり個々人の性格は言語に関わらず、人それぞれなのだということだ。
日本人でも「わび・さび」なんて説明されても全く分からないという人もいれば、多言語の文化圏の人でも心の底からしっくり来ている状態で理解できる人もいる。

長井さんの本を通して、発することと伝えることの間にある大きな違いについて、改めて考えさせられた。

伝えたい内容や気持ちをまずは自分の中にしっかりと持つこと。そしてその先に、いかに伝えるか、どのように工夫したらよりしっかりと伝わるのかを考えていくこと。

きっと答えは一つではない。
誰かに伝えるというのは、自分自身を整理することでもあるのだ。
伝えるというのは、突き詰めていけば本当に大変な作業だと痛感させられる。

学ばなければならないことは、無限に広がって、日々新しく学ぶべきことが出現して、全くもってキリがない。










It's important things to learn Japanese much the same as to learn English.
I was born in Japan as Japanese. So I can use Japanese fluently, of course. But if I stop learning Japanese, my words will be no appeal and no suitable for the situation.
Language demand us to update their information at all times. We have to read or use it attentively.

I try to read many novels, nonfictional books, poems and also movies or art which are not contained the letter.
Japanese is my mother tongue. But I have to learn it continuously.

In addition to do that, through learning other language like English, I can realize thn aesthetics about Japanese language.
And now I use Japanese more politely because I love the beauty in Japanese words.


At last weekend, I read Mariko Nagai's essay.
She is a famous interpreter. She worked with many politicians at many international conference.
She suggests us how to tell and what to tell other people.
It's not question for languages.
It's for your thought in your heart.
Telling might be keeping our thoughts neat and tidy.

The answer might be not only one thing.
To pic the good words for my thought, I have to learn language and other many many things.





コメント

突然、話しかけられるなど、よく知らない相手と話す時、また緊急なことが起こった時に、言葉の力が試される気がします。。。正に、まりさんの言う通り、日々勉強、ですね。

みーまる 2019年05月14日

勉強熱心ですね。

この日本語が、正しいかもわからない私です😅

taka 2019年05月14日

語学を学んでると日本語の表現の豊かさに感銘を受けますよね。
よ~く気持ちがわかります

Kyo 2019年05月13日

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