アリ・マルコポロス展@ファーガス・マカフリー

美術展示で映像作品を観る場合、1ループの長さが10分を超える映像を最後まで観るのには、それ相当の心と体の持久力が必要だ。さまざまなハードルがある。特に、観る側にとっての時間的制約に寄るところも大きい。

まず美術展示において、一作品にどれくらいの時間をかけて観るかは自分自身で自由に決められるはずだという謎の呪縛が鑑賞者の心に浸透している。
映画館に映画を観に行ったり、短編上映会だと認識して映像を観に行った時とは、時間の経過に関する体感が全く違うのだ。映画館で50分程度の映像を観たら、短い作品だったなと感じるだろう。

しかし時々、そんな時間に関する思い込みが全て吹っ飛ぶような、素晴らしい長めの映像作品に出会うことがある。


ファーガス・マカフリー東京(Fergus McCaffrey Tokyo)で開催中のアリ・マルコポロス展(Ari Marcopoulos solo exhibition)に行ってきた。

表参道と外苑前の中間あたりに位置するこのギャラリーは、私にとっては仕事のついでにも立ち寄りやすい場所だ。

アリ・マルコポロスの作品を観るのは今回が初めてだった。彼は写真を主に表現手段とし、ニューヨークを拠点に作品を制作している。若い頃はアンディ・ウォーホルのモノクロ写真の印刷の仕事を2年続けていたり、その後はアーヴィング・ペンのスタジオ・アシスタントとして働いていたことがあったりと、多くの偉大な人たちを間近に見ながら今に繋がる要素を吸収していったアーティストだ。

今回の個展では動画作品が3点と、写真作品が3点展示されている。

モノクロの写真は和紙に印刷されていた。
社会をえぐり取るような冷徹な眼差しに、最後ほんのひと匙の優雅さを隠し味で加えているような、どこか心地よさを醸し出す3枚の写真作品は、和紙の繊細さと相まってとても美しい仕上がりだった。
(全エディション完売の作品もあり!展示2日目にしてである。)








さて今回の展示のメイン作品は 《The Park》と題されたピアノ音楽付きの映像作品だ。長さは58分。映し出されているのは公園の簡易バスケットボールのコートと、そこに出入りする人たちのみ。カメラ位置は約50分強、定点位置のみで全く変化しない。








この時点で、強い抵抗を感じるのが普通の反応かと思う。
延々と、公園に設置した定点カメラの映像を大画面で見せられ続けるのである。それも58分間。ラストの約7分間でやっとカメラ位置が変わるが、「引きの返し」つまりぐるりと反対側からの映像で先程までよりはバスケットコートから少し離れた所にカメラを置いた定点映像になるだけだ。カメラ位置が変わっても時間軸は前後が続きで繋がっている。
作品の説明文をざっと読んで、この後にもいくつかギャラリーを回ろうと思っていた私は、10分くらい観てから次に行こうかなと思い、気軽な気持ちで作品前のソファーに座った。

しかしほんの少し観始めたところで、私はその後の別の予定を全てキャンセルにした。まず、良いも悪いもなく私に立ち上がる隙を与えないのだ。一瞬たりとも途切れることのない緊張感はこの映像にライブ録音で即興演奏を付けたピアニスト、ジェイソン・モランの素晴らしい演奏によるところも大きいだろう。
私の頭の中の半分では強く引き込まれながら、もう半分では「ちょっと待って、ただバスケットゴールが二つある公園でいろんな人がバスケットボールをしたり行き来したりしているのを映し続けているだけだからね。」と事実を何度も確認し、その単調であるはずの映像から目が離せない自分に対して混乱した。
一体、今私の目の前に展開している、特段の物語性も事件もない映像は、なんなのだろうか。
映像の途中から見始めた私は、結局どこまで行ったら1ループなのか正確なことはわからなかったので、きっちり58分観たのかは定かではないが(それくらい「あ、このシーンまで観た」と言いづらいような映像なのだ)、経過していた時間から察するに結局ほぼ1ループを観てしまった。

最後のカメラアングルの変更は突然起こり、そのあまりの唐突さにギョッとさせられた。その場所がどんなところにあるのか、今まで観てきた映像のカメラはどの辺りに設置されていたのか、映像手前で往来していた人たちの行く先には何があってバスケットボールをしながら時折休憩していた人たちの目線の先には何があったのか、約50分の映像にあった状況を俯瞰するようなラスト7分間は、それまでの詩的情景を破壊する不穏感すら持っていた。それは何かのミスかと思うような、心がザワッとして戸惑う展開だった。
一体この映像と演奏をどうやって終わらせて、どうやって始めたのだろう。強い興味を覚えながらラストシーンを観ていると、バスケットのコートには誰もプレイヤーがいなくなり、さっきまでバスケットをして遊んでいた子供達はそれぞれ荷物を持って帰り始める。物語の展開としては終わりに相応しいシーンかもしれないが、これもまたブツっと唐突に真っ暗な画面になり作品が終わるのだ。ピアノの音だけはふわりと着陸していた。

次の1ループの始まりを待っていると、黒い画面に白文字でタイトルと作家、演奏家の名前が短くサッと表示され、画面にぎゅうぎゅうに人がいるシーンからまたも唐突に始まるのだ。たくさんの人がバスケットボールをしている。そしてピアノは相変わらずふわりと何事もなかったかのように侵入してきた。

心に衝撃を残しながらも、実にセンスの良い作品だった。時代を冷静に写し取ることと、事実を誇張せず下品に叩きつけもしないことを共存させている。しかもそれらが嘘くさい綺麗事に成り下がっていないという、極めて高度なバランスの提示である。

映像の作り手も演奏者も、それらを58分間の中で挑戦した。とても勇気あるチャレンジだ。ライブ演奏が付けられた昨年末の上映会場が大きな拍手に包まれたことは容易に想像がつく。


湘南の海を散歩して、旅先の景色を眺めて、
時折、なんて美しい光景なのだろうかと思うことがある。
目の前に広がる景色が素晴らしい、ただそれだけで心が満たされ、いつまでもその世界を味わっていたいと思う。気の利いたカッコいい言葉も思いつかない。でもまたそれが良いのだ。目の前の美しさは、ただ素晴らしい。それで完結している。
特別な場所にわざわざ行かなくても、日常のふとした瞬間に素晴らしさを発見することがある。お気に入りのカフェからの景色や、いつも歩く道の空にもハッとする瞬間が潜んでいる。



前述の通り《The Park》では何も事件は起こらない。
そこにあるのは極めていつも通りの光景だ。けれど人は時にその日常の中に、大きな愛しさを感じることがあるのだ。
降り注ぐ太陽の光は惜しみなく輝き、木々の葉は生命に溢れた明るい黄緑で満たされている。画面奥の道路では車が渋滞し、時折バスも通り、人々はそれぞれの時間で動いている。小さな簡易コートでバスケットボールを楽しむ人たち。それを特段気にかける通行人はいない。誰かがそこでバスケットボールをしているのは、いつものことなのだ。
そんなありふれた光景の中に、説明のつかない愛と美しさを感じる穏やかなひと時。この感覚が胸にある時こそ究極の幸せなのかもしれない。幸せはすぐ近くでうっかり見落とされている。まさに青い鳥だ。


現代アートは作家が提示するアーティスト・ステートメントと言われる作家の制作に関する根本を述べた文や、作品の趣旨を明確に示すステートメントが重要視されることも多い。これらステートメントにより作品と作家の魅力が変動してしまうこともある、無視し難い要素だ。コンセプトが重要視される現代アートならではの現象だろう。

《The Park》は現存作家による最新作であり、疑いようもなく現代アート作品である。
しかし彼のプロフィールやこの作品が出来た経緯はわずかな参考資料でしかなく、作品についてあれこれ説明する言葉は全く不要であると私は感じた。

そこには10分くらいで帰るつもりだった私を約1時間も引き止めた、有無を言わさぬ力強さがあり、すべての言葉を無視する程の圧倒的な存在感があった。

《The Park》はもともと音楽なしで環境音などもないサイレント映像として発表されたものだ。音がなければさらに個々人に広がる感情は無限となり多くの解釈が生まれるかもしれないが、今回のライブ演奏の音付きのバージョンは一つの強い流れと集中をもたらしている。音ありも音無しも、おそらくどちらも異なる素晴らしさがあると感じるだろう。いつか音無しバージョンも観てみたい。

映像作品は他にも2点あり、写真作品もじっくり堪能できるものばかりなので、観に行かれる予定の方はぜひ時間にゆとりをもって訪れることをお勧めする。


ファーガス・マカフリー
http://fergusmccaffrey.com/















When you see some movie art works in a gallery or museum, there should be many hard climbing mountains. People may be convinced about seeing art works,especially about time for appreciation. You may believe that the time how long you see an art work should be decided by yourself. It's the right way, I think. But movie works
are not acceptable because they have their time from starting shot to black out of the ending.
Most people who came to white cube have no intention of spending their long time for an art work. It's interested reaction about the time and seeing works. If you go to the theater for movies, the film which runs for about 1 hour passed the showing time for a instance. But you see the same movie at the gallery, you may feel it overlong work.
Of course, bad movie works give us regret seeing it. But, sometime we can find the good works which blow off our trivial thought with their strong body of the works.

I went to Fergus McCaffrey Tokyo(Omotesando,Tokyo,Japan) to see the solo show by Ari Marcopoulos.
http://fergusmccaffrey.com/

I saw his works at the first time. He learned many things from Andy Warhol and Irving Penn working with them. He is known as photographer shooting the street photography. His works are expounded the new style between street photographs and fine art works with crossing different styles of contemporary art.

In this show, he presented 3 movies and 3 photographs. He had the strong point of view about the society of New York, but he expressed with keeping little elegance. It's wonderful balanced work. His 3 photographs printed on Washi paper. It's so beautiful. One of them was already sold out although it was Day 2 of this exhibition!!







By the way, the main work of this show was an movie titled "The Park" which was played with improvisation piano by Jason Moran.





The length of this was about 58 minutes.
Almost all scene was shooted by fixed camera and any happenings or any dramatic things would not held in front of the camera. It showed a basketball goals and park, many people walking on and playing the basketball game, many cars driving over the road...that's all!
Many viewers may have some barriers to see the movie from the beggining to the end.
Before I started to see it, I would see for about 10 minute because I wanted to go another exhibitions after this show.

But, when I saw it, I canceled all schedule after this. I couldn't leave my heart on his work.
Jason Moran's sounds were so good, he presented a comfortable tension on this movie.

I remembered some beautiful day in my daily life.
It's not special place, not special day.
But wonderful scene is there just looking at my front of the sea, sky,trees...
"The Park" tells us the love in our life. After all, I had seen this long work with full length.
"The Park" was a so strong work which didn't require any works even the statement which was sometime regarded as one of the important element of the contemporary art works.
I want to see another version of "The Park" with no sounds which presented as the first version of this work.

コメント

今回のような作品は、正に、まりさんのような審美眼がないと見極められませんね。私は、せっかちなので、なかなか。。。(笑)

みーまる 2019年01月16日

なんだか凄いですね
日常をそのまま公園のベンチに座ってみてるかのような印象付けますね

Kyo 2019年01月16日

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