オサム・ジェームス・中川さんの《Eclipse:蝕》と《Kai:廻》

現在都内2箇所同時開催で
オサム・ジェームス・中川さんの個展が開催されています。


オサム・ジェームス・中川さん

https://jamesnakagawa.com/en


(日本語ページと英語ページ、両方あります。)







これまでにも多くの写真作品を発表してきたオサム・ジェームス・中川さんですが、実は私はプリント作品を観るのは今回の展示が初めてでした。


まずはPGIさんでの展示
「Eclipse : 蝕」

これはアメリカのドライブインシアターを撮影したシリーズなのですが、オサム・ジェームス・中川さんは今回の撮影以前に《ドライブ・イン・シアター》という作品群を1992年から97年にかけて撮影、発表しています。この過去作の時にはご自身で映画スクリーン上に様々な映像を投影しながら撮影したものでしたが、今回の新作《Eclipse : 蝕》ではスクリーンは真っ白、なにも映し出されておらず、打ち捨てられたかのような様子にも見える閑散とした平地とスクリーンが淡々と写真に切り取られています。

アメリカに生まれ、今もアメリカで暮らし、アメリカで教鞭もとるオサム・ジェームス・中川さん。
それでもアメリカの中心をリアルに変えていく人たちからは「外」に置かれている自分を感じ、アウトサイダーである心が、作品を撮らざるを得ない衝動を生み出したのかもしれません。

《Eclipse : 蝕》には、まさに「トランプ以降」で変わり続ける現代の社会、その中にいるアウトサイダーたちが日々肌で感じている不穏な空気、悪いことでも歴史は繰り返されてしまうということへの怖れ、そんな目には見えない暗い渦がこの作品の1枚1枚に凝縮されているかのようです。
過去に一度撮影したことのある場所にも再び出向き、そしてスクリーンと広大な平地を撮る。
それはまるで大地震や大噴火の前にはこんな自然現象があると言われている(科学的根拠がないものだとしても)という生き物の行動や雲の様子のなんらかの変化を並べて見せつけられているかのようにも感じます。一見何の変哲もない雲や空の色、猫の姿なども後から思えば自然災害の直前にそういえば・・・となる。

この作品で撮影されているのは
誰もが知っているドライブインシアターの様子です。しかし1枚また1枚と作品を見進めるにつれ、受け手の中に何とも言い難い不穏感が忍び寄ってくるのです。

それはまさに、知らぬ間に権力者に都合の良いように変えられてしまった何かに、庶民が気がついた時には手遅れで、けれどその兆候は目の前にあるハッピーそうに見せている何かに隠れながらひしひしと日常を蝕んでいたのだよという証拠を突きつけられた瞬間、愕然とする心境でもあります。

彼の作品のステートメントは極めて明瞭で、その文章からだけでもいかに切実に撮りに行ったかが伺えます。そしてその切実さは確実にプリントの中に写り込み、力強さとなって観ているこちらに突き刺さってきます。

今回ほんの数点ですが、過去の《ドライブ・イン・シアター》も展示されていましたが、個人的には圧倒的に新しいモノクロ作品の方が好きでした。






この不穏な空気を、突き放すかの如く冷静に切り取った作家が、もう一つの別会場では家族について私的写真を発表しているというのですから、気にならないはずがありません。
本当はこの日はそこまで巡る予定ではなかったのですが、急遽予定を変更し、そのままもう一つの会場であるポエティック スケープさんへ向かいました。

こちらは「Kai : 廻」というタイトルでの展示。
作品ステートメントはこちらも非常に無駄なく研ぎ澄まされた文章で分かりやすく、気になる方はぜひ彼の文章も作品と合わせて読んでいただければと思うのですが、このシリーズは彼自身のプライベートで去り逝く魂と新しく生まれ出づる魂、身近な人間の生と死というものに偶然にも同時期に深く関わることとなったところからスタートしています。

人間は誰でもこの世で、生まれ、そして死んでいく。そんな当たり前のようなことに、普段はなかなか気がつくことができないまま、呼吸し起きて眠って日々を繰り返しているわけですが、ある時何かのきっかけで気が付き、強く生と死を意識せざるを得ない時が降りかかってきます。その瞬間、自分も遠い過去に生まれた時が確かにあり、そしてどれくらい先かは分からないけれど皆んなと同じく死を迎えるのだという当然のことに、半ば強制的に向き合わされるのです。

この《Kai : 廻》シリーズでは
《Eclipse : 蝕》に見られた力強い不穏感とは全く違う、非常に曖昧でありながら確実に狭い範囲で渦巻いている古くから続く流れを感じさせられます。
それは誰にも止めることのできない永遠の流れの一部であり、ほんの一瞬だけ写真のシャッターを切るという形を借りて目に見える静止画になったという、あくまでも大河の一側面です。それでもその繊細な時の不思議さや愛おしさを、留められないのは充分知りながら、だからこそ撮らずにはいられない、そんな切なる温かさも感じます。

これら二つの作品はどちらも、自分ではどうにもならない大きな物に向き合っている作品ではありますが、

《Eclipse : 蝕》はそれを外の社会に対してアウトサイダーの全身で体当たりしたような作品、
そして《Kai : 廻》は自分自身の奥底に眠る心をえぐり出し必死に目を向け、受け継がれる時の流れと引きずり出した自分の根底をとことん向かい合わせたような作品だったなと感じました。

どちらも全く違った素晴らしさがあり、これらを同時期に都内で観られたというのは、本当にラッキーな機会だったと思います。


そんなわけでここまで観てきてアート鑑賞は2018年の362件目、11月は102件目となっていました。
11月は観たい展示が目白押しだったからなあ、、、これでも行ききれないうちに会期が終わって逃してしまったものとかもあったんです。
さて12月は「うわ!見逃した!!」とならないようになるべく計画的に行きたいと思います。






I saw 2 photo exhibitions by Osamu James Nakagawa. Both were his wonderful solo shows.
I had never seen his prints before. His works were very strong body works as well as elegant photographs although he took the desolate place or his sad moments privately.
I liked "Eclipse" works especially, but "Kai" were good too.












いずれも《Eclipse : 蝕》展示より↑

コメント

社会派なアートなのでしょうか。うーん、なかなか。。。

みーまる 2018年12月05日

何となく郷愁を誘う作品ですね。
ドライブインシアター
1950から60年代が舞台になってる映画によく登場してました。
実は日本にもあったそうですよ。

Kyo 2018年12月05日

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