映画でも絵画でも写真でも
同じものを観ているはずなのに
観た環境や、受け手の心理状態によって
心に届くメッセージが全く違って見えてしまうことがあります。
友達が何年も前に昔開いた個展のことを
偶然、ネット上にあった画像で思い出す機会があり、
いま、このことを思ったんです。
作品は
常にライブなのだ
と。
現代において、様々な動画配信や、リアルタイムなネットでの文字通信などがたくさんあり、
地球の反対側での様子ですらも、わざわざその場所までいかなくても、リアルタイムに観ることは可能です。
もちろん、それらのリアルタイム配信は、目の前の画面に切り取られたものが、「ライブ」であるのは間違いないし、
「ライブ」で観る、
と聞くと、本人がその場に行くか、リアルタイム配信を観るかのどちらかをイメージすることがほとんどなように思います。
けれど、
ふと心に浮かんだのは
例えば世界の反対側の様子を
写真に閉じ込めて、切り取って
持ち帰った場合、
そこに写されていることは、いま、ここでライブで起きていることではないけれど、
常に、写真と向き合う受け手が
呼吸をして、イマココに生きている限り、
作品はライブという存在になるのだ
ということ。
その作品を並べた場所と
観ている受け手と
作品、
それらの空間に存在する「間(ま)」は
観ている最中も常に進み、流れ、
「間」の中にライブが存在する。
イマココにしかない作品と受け手の関係性が、
作品が世界から切り取られた瞬間とは違う意味を持った「ライブ」に変身する。
インスタレーション作品を観る時の
暗黙の了解にも似ていますが、
インスタレーション作品は、受け手に、
そのように感じてもらうことを前提に発せられている部分もあり、
ほんの少しだけ、いま書いたこととも違うかなあと。
どんな出来事にもきっと
イマココでしか感じられない、大切な価値がある。
うっかりしていると
手の指の間からこぼれて
見落としてしまうかもしれない。
今日に感謝。









コメント下さったみなさま

シュミットさん
まるみるさん
55555さん
のぶちゃんさん
ぬこさん
hatanoieさん
温かいコメントを
ありがとうございます





めかぶに似ているのは、秋田の地元食材ではギバサっていうのがありますね。大好きです。もみじのお菓子は初めて知ってビックリ。貴絵ちゃんちとはなんか共通点?類似点?が他にもあってまたまたビックリ。
文鳥は初めて手に乗せさせていただきました。可愛かったー。
よーし
みなさんから元気をいっぱい貰った
今日もまだまだがんばるよー


過去でもなく、将来でもない、今を生きる、ことは、
何よりも大切ですよね。☆
また、お仕事、おつかれさまです。。。