『等伯』(日本経済新聞出版社)
安部龍太郎さんの小説を読み終えました。
長谷川等伯の名前は
美術の勉強の中でももちろん出てきたけれど、
ここまで、長谷川派に注目して、目線を動かしたことがなかったので
また新しい感じが胸の中に残りました。
この時代は
狩野派の絵がどうしても
ぱっと目に付くし思い浮かんでしまいますが
この本を読むと
長谷川等伯、久蔵たちが手掛けた絵を
じっくり見てみたいなあという気持ちになります。
純粋に小説としては
千利休が亡くなった後の等伯を描いていた場面が
特に胸に刺さるようで
「七尾を出て二十年の間に多くのことに遭遇し、苦難の道を歩みつづけてきた。
自分でも驚くほどの有為転変だが、これも絵に向かおうとして自ら招き寄せたものだ。苦しみも哀しみも、荊の藪を裸で歩くようにひるむことなく引き受けなければならない。」
とあった後で
等伯の家の宗派だった日蓮宗の日蓮上人の言葉があります。
「当時(今)の責めは耐うべくもなけれども、未来の悪道を脱すらんと思えば悦びなり」
苦しみも、哀しみも、
生きているということであり、
絵もまた、決意して突き進んできたのなら、
全てを自分で引き受けた上で、苦しみ抜いて進まなければならない、
そんな道を歩いてきた等伯。
どんなに後悔が残ろうと、
それでも無駄なことは一つもなくて、
今は見えていないだけ。
全てが未来につながり、
信念と、自分の本当の気持ちさえ、しっかり握り締めていられたら、
今この苦悩があるからこそ、明るい未来が掴めるのだと
思うことが出来る、
そんな気がしました。
最近は便利な世の中で
小説に出てきた、気になる絵を
画像検索してみると
さささっと
いろいろ見られるのね。
京都も
修学旅行でしか行ってないから
いつかゆっくり行ってみたいなあ。
この小説は、なかなか読みごたえがありましたよね。☆
また、私も、等伯の絵をじっくりと見たことがないので、
機会があれば、ぜひ見たいと思っています。。。