『食のクオリア』

茂木健一郎さんの本が読みたいなあと思っていたところ

本屋でばったり出会ったのが
この本。

『食のクオリア』(青土社)

財団法人塩事業センターの『webマガジンen』での連鎖を加筆修正して本にまとめたものだそうです。

茂木さんのプロフィールをみると

研究テーマの重要なキーワードが

クオリア。

この本のタイトルにもあります。


クオリアは

意識のなかで立ち上がる、数量化できない微妙な質感

と言えるもののようで、

今回の著作の中では

「感性の時代と言われて久しい。人間の感じる数値にならない様々な感覚(クオリア)が脳の神経細胞の活動からいかに生み出されているか、そのメカニズムを探るのが私の思い定めたライフワークである。クオリアとは、すなわち、世界を感性においてカテゴリー化する脳の仕組みである。」

とも触れられています。


なんか、うまく言葉にはならないんだけど
確実に、そこには理由があるような気がする、けど説明できーん!みたいな、もやっとすること、ありますよね。

クオリアって、そういう部分に
ある方向からの答えの一つを示してくれるのかなあ、なんて私はそんな気もしました。


今回の著作の中では


美味しいって感じるとは、
どういうことなのか、

あらゆる方向から
考えていきます。

面白かったのは
食べ慣れた味についての話。

日頃、美味しいと思って安心して食べているものを

「安全基地」
と茂木さんは表現しています。

「おふくろの味があるからこそ、私たちは、様々な味を試してみることができる。おふくろの味という安全基地に感謝しつつ、新しい味を試してみることは、人生の楽しみである。」


いつでも安心して戻れる
味の安全基地があるからこそ、
思い切って冒険もしてみたくなる。
そう言われると、なるほどなあと思うことは多いです。
いろんな鍋を食べたって
やっぱり、きりたんぽ鍋だもんなあ、私は。
でも他の鍋ももちろん楽しく食べちゃうんだけど。


食事の盛り付けの話も
興味深くて、

「そして、目の前の美しい盛りつけの背後には、必ずそれを作ってくれた人がいる。盛りつけとは、すなわちコミュニケーションの一形態である。やがては壊されてしまうと知りながら、それを食べる人の喜びを思いつつ美しく盛りつけることに心を砕く板前さん、家庭の主婦、主夫、パーティーのホストの心映えは美しい。」


盛りつけは

コミュニケーション。

どきっとしました。

本当に、まさに。


もちろん、自分一人で料理して食べる時も
盛りつけはするものの、
かなり手間暇かけて、凝った盛りつけは、
よほどの理由がない限り、しないですもの。

でも、みんなでワイワイ食卓を囲むとなると、

どの料理をどのお皿に盛りつけようかと考える所から始まり、
器の深さ、形状が、その料理が食べやすいか考え、
一層美味しそうに見えるように、
頑張って、箸で細かくテコ入れしちゃったりなんかして
バランスを整えてみたり、
盛りつける時に汁が飛んでしまった皿の淵を綺麗に拭き取ったり

様々

でも食べちゃうんだから
一瞬なんですよね、盛りつけの成果が
目の前にあるのって。

それが
コミュニケーションなのだと考えると
すっと
もやもやが解消されて
一つの明瞭な答えが出た、スッキリ感があります。


『食のクオリア』は
私たちが普段、何気なく
毎日行う

食べる

という行動について

なぜ何気無く行動できているのか、
美味しい、と感じることについて

改めて発見させてくれる
すてきな一冊でした。

コメント

確かに、一人で食べるけれども、盛り付けは、おいしく見えるよう、
工夫しています。。。
ちょっとの角度などで、大きく見え方が違ったりするので。(笑)

これはもしかして料理人としてのDNAなんだろうか???

まるみる 2014年01月18日

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