角幡唯介さんのノンフィクション作品
『雪男は向こうからやって来た』(集英社)
を読みました。
角幡さんの本は
以前に一冊、
ツァンポー渓谷を探検した時の本を読んで
すごく面白かったので
他の作品も読みたいと思っていたところ、
今回の作品がこの秋に文庫で出版されて。
さて
今回は
タイトルにあるように
雪男のはなし。
角幡さんは、ツァンポー渓谷を探検して空白の五マイルを歩く前に、
実は雪男を探す日本の隊の一員として遠くチベットまで行っていたのでした。
雪男の存在を
ほとんど信じていなかった角幡さん。
だからこその
揺れる気持ちや
客観視するところ、
周りの話を聞いていくうちに、考えて行ったことが、
まっすぐに描かれていて
面白いです。
雪男の探検に出かける前に
過去の雪男目撃談を聞いて集め、写真など資料調査をすすめていた角幡さん。
「もともと雪男がいると強く信じていたわけではないし、今後も自分の人生で雪男がいなくて困ることなど何もない。わたしには雪男に人生をかけるほどの理由はないし、見つからなかったら、帰国し、やはりそんなものはいないよと、友達に話せばいいだけのことだった。しかし、ここまで関わった以上、何かそれでは気持ちが釈然としないのである。」
と、探検中に思う角幡さん。
雪男、という存在と
角幡さんが向き合ったことで
浮き上がってきた、
数々の、雪男に魅了されてきた人たちのこと。
雪男を探すためだけに、
同じ場所に
何度も通う人たちがいる。
「外国の辺境で五回も訪れる場所など、誰の人生にもそう多くないはずだ。」
本当に。
日本国内だって、
ちょっとアクセスに時間のかかるところなら、
なかなか何度も行けないかもしれないというのに、まして、チベットの高所、しかも雪。雪がなければヒルの大群と闘うような山。
そうそう、あるもんではないです。
雪男。
角幡さんは
「雪男にも興味はあるが、おそらくわたしはその正体よりも、雪男を見た時の人間の反応に興味があったのだ。」
と言います。
「雪男は本当にいるのだと確信できる何かを見た時、自分はどのような衝撃を受け、自分の中でどのような化学反応が起きるのか。雪男の実在を強く信じていると言えない自分の中でも、パラダイムはあっけなく転換してしまうのだろうか。」
著名な探検家、鈴木紀夫が
雪男を探し、探し続けて行った結果、
命を落とすことになったこと。
雪男の虜になった人たち。
何がそこまで
させるのか。
雪男には
何があるのか。
でも
「みて」
しまったら
引き換えせない。
そういうことなのかも、しれないんだな。
それが
未知なる化学反応。
雪男。
うん
角幡さんの本
まだまだ他のも
読みたい気持ち、盛り上がりました。
雪男、いいじゃないですか!
僕は、霊界とか知りたいな、あるんかな、と思いますよ。昨日も寝てる時とりつかれたり(あれは霊です!)お葬式や墓に行くと、魂が浮遊してるのが確かにわかるんです。いやほんとです。
あのエジソンも晩年は霊界との交信器に熱を費やしたとか…
でも、きっと、エジソンは死者と会話がしたいためだけにそれをやったんじゃないと思うんです。未知のエネルギーを人間の領分で理解して、人の素敵な生活に応用するために研究をしたんだと想像しています。宇宙を研究する人全てが、月にガンガン家を建てるためにモチベーションを持っているのではないんだと思うように…