観劇「かもめ」

先日、シス・カンパニー公演のかもめを観てきました。
豪華なキャストの方々で、アントンチェーホフの代表的な戯曲なので、とっても楽しみにしていました。

物語の切なさと、純粋な少女ニーナがしだいに精神を蝕まれ、崩壊し疲れ果ててもなお、「私はかもめ」‥いいえ、「私は女優‥!」と繰り返すシーンは、彼女の二面性が交互に表れ、印象的なシーンでした。
かもめは、この物語の象徴であり、さまざまなシーンで重要な鍵になっていて、なんと面白いストーリーなんだろう!とさまざまな角度から登場人物に焦点をあてるのがとても楽しめました。

以下、舞台の内容に触れます。
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主人公のトレープレフ(=コスチャ)は、作家として才能を誰にも認められず、身内から笑いものにされ、愛するニーナは、コスチャの母アルカジーナの恋人で有名作家であるトリゴーレンに恋心を抱いてしまう。
激しい焦燥感と嫉妬と挫折で、命を絶とうとするコスチャだが、それすら失敗し、1羽のかもめを撃ち命を奪うのですが、そのかもめをみた作家のトリゴーレンは、あらゆる妨害によって翼をもがれた少女を題材にした作品を書こうとひらめく。
それがのちにニーナのたどる運命を示唆するセリフになっていて、何の罪も無いかもめの命が途絶えてしまったことが、ニーナの運命だけではなく、私にはコスチャの未来や才能が行き場を失ってしまったようにも思えてもどかしかった。
「いずれ自分自身もこのかもめのように、撃ちころされるのさ」と言ったコスチャのかたちにできない才能への焦りや、不器用で真っ直ぐな彼を見ていて、その気持ちがすごく理解できて胸が痛くなる。
愛する母も、ニーナも名声もすべてトリゴーレンは持っている。それに対するコスチャの感情はどんなに悔しくて、言葉に出来ないほどの憤りがあり、孤独で寂しいものだろう‥。彼の境遇に感情移入してしまう。
それぞれの登場人物は、みんな自分のことで手一杯に生きていて、かみ合わない歯車が滑稽に見えてくる。
2幕では、コスチャの成長や作家としての活躍が伺える。背筋も伸び、髪もセットし、昔のはかない少年の面影は無く、一線で活躍する作家のオーラを持っていた。
しかし、昔のように思うまま自由に表現する喜びは薄れ、作家としてありきたりな表現しかできなくなった自分に憤りを感じていた。
良くも悪くもあのころのコスチャはもういない。
ニーナも女優になる夢を叶えるべく歩んでいるが思うように芽がでず、才能に欠けていた。しかし、あきらめること無く地方を巡回し公演をする生活を続けている。自分がはかない〝かもめ〟のように、果ててしまいそうになる。そんな弱さを垣間見せるニーナの手紙。
そんな若い二人の抱いた夢も思うようにいかない人生や、どんなに思っていても結ばれない恋には、はがゆさを感じてしまう。
そしてコスチャは自分の使命さえ、見失っていく。
そして迎えるクライマックス。突きつけられる現実。とりまく人々。
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同じ場所に居ても、それぞれは全く違うことを考え、違う人生を生きていて、胸の内は誰にもわからない‥。残酷にもかかわらず、その人物達のかみあわない人生が滑稽に見えてしまう物語の構成は、凄いの一言でした。
悲劇を喜劇に見せるのは、演出と脚本と役者さんのすべてのバランス感覚が抜群に良いからなのだろうと感じずにはいられませんでした。

大竹しのぶさんの演技には、痺れました。生で見る表現力の豊かさと、存在感には圧巻。舞台上にいる大竹さんからは、目を離せなくなって、
少しでも、その魅力を吸収したくて、入り込んでしまいました。

今まで見た芝居の中で、いちばんエネルギーを使ったので、どっと疲れて観劇から5日経った今日、ようやくこのブログを書きました。
食い入るように観ていたので今でも鮮明に記憶は生きています。見たものが自分の細胞に入ってくる感覚は、アウトプットすることでより実感できます。それだけ大きな吸収があったということですね。

長くなってしまいましたが、もの凄く参考になって、戯曲のおもしろさに触れることのできた作品でした。
もっと読み解きたいです。

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