From Hawaii

パールハーバーへ行ってきました。

1941年12月7日、この地から太平洋戦争は始まりました。
当時海中へと沈んだ戦艦アリゾナ。
戦艦と共に最期を過ごした方達もこの艦中に今もなお眠っております。
その戦艦アリゾナにクロスする様にアリゾナ記念館は建てられており、
それがお墓を表すかのようになっています。

ここでは戦艦ミズーリも見る事ができます。
この戦艦も今でこそ展示用とされていますが、きざまれた歴史は戦争の無惨さそのものでしかありません。
ミズーリでは主に二つの話が取り上げられております。
まずは太平洋戦争終結の降伏文書の調印式について。
2枚目写真左がまさにその場所で、右がその文書です。
当時日本に必ず調印させるためのプレッシャーをかけるため、
ミズーリの砲塔は東京に向けられ、日米和親条約を締結させた黒船が来航時船体に掲げていたアメリカの国旗が調印場所にも掲げられていたようです。
調印文書は連合軍用と日本軍用二つあり、日本軍用の調印文書にサインする際カナダ代表が記入場所を間違え、以下一つずつ下にずれています。(2枚目写真右)
日本側がこれに気づき抗議した時にはマッカーサーはすでに祝賀会の最中で、代わりに中将が手描きで訂正したそうです。
もう一つミズーリで見る事が出来るのが、カミカゼ・アタック・サイト。
過去に4つの戦場へ出向いているこの戦艦ミズーリ。
沖縄戦の際も沖縄周辺海域に停滞しておりました。
1945年4月11日、当時19歳だった石野節雄さん(写真3枚目右、右下)の乗る特攻機がミズーリ船体に突入。(写真3枚目右上)
機体半分が3枚目写真左上の甲板に残った様です。
突入によって出来た船体のへこみが今もなお残っています。(写真3枚目左下)
機体と共に石野さんの遺体の一部が発見され、当時の艦長ウィリアム・キャラハン大佐の命令により水葬が行なわれました。(写真3枚目右、左下)
反対する乗組員に対し、大佐は『この日本のパイロットは我々と同じ軍人である。生きている時は敵であっても今は違う。激しい対空砲火をかいくぐってここまで接近してきたパイロットの勇気と技量は、同じ武人として称賛に値する。よってこのパイロットに敬意を表し、水葬に付したい』(参照:戦艦ミズーリに突入した零戦―米海軍水兵が撮影した決定的瞬間)と伝えたそうです。

パールハーバーで改めて感じた平和の有難さ。
ここでは忘れてはいけない戦争という歴史とこれからの世界への思いを願わずにはいられませんね。

コメント

ほんと勉強になりますウィンク
素敵なリポートありがとうございますっウィンク指でOK

はし 2013年07月20日

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