6月23日
それは沖縄県民にとって大事な日であります
慰霊の日
第二次世界大戦、沖縄の地上戦が終戦した日とされています
ちなみにこの日は沖縄では祝日になっており、正午になると仕事をしていても、スポーツの大会をしていても、もちろん友達と遊んでいても、県民全員で一分間黙祷を行います
戦争がなければ出会えていたはずのおじー、おばー、おじさん、おばさん、もしかしたらおとうさん、おかあさん、
みんなを思う一分間であります
もう68年の月日がたちます
僕は戦争が終わって42年後の沖縄に産まれ、その後の21年間を沖縄で過ごしてきました
正直なところ、まだ幼い学生だったころは慰霊の日が単なる祝日だとしか思っていなかったかも知れません
生まれた頃から当たり前のようにあった基地、当たり前のように空を飛んでいる戦闘機、そこで当たり前のように訓練をしている軍人、全てが当たり前すぎて…
おじー、おばーからあれだけ戦争の話を聞いたのに
思い出したくもないはずの恐ろしい時代を、僕らの今後の世界のために話してくれたはずなのに、
僕らはきっと授業のひとつとしてしかとらえていなかったのかも知れません
戦争で燃えたあの山はどんなだったんですか?
血で染まった海は今よりももっともっと透明だったんですか?
基地ができるまえはそこには何があったんたですか?
おじー、おばーが過ごした当たり前の沖縄はどんなところだったんですか?
戦争の恐ろしさを文面、映像、聞いたイメージでしかしらない、基地があることが当たり前すぎておじー、おばーの苦しみが理解できなかった僕が図々しく言います
いや、言わせて下さい
沖縄を離れて5年
少しは理解できます
もしかしたらその理解は勘違いかも知れません
だけど言わせて下さい
沖縄を返して下さい
おじー、おばーの当たり前を返して下さい
そしておじー、おばーが過ごした幸せを、僕らにも感じさせて下さい
おじー、おばーが生きてる間に
ウチナーンチュみんで、戦争が始まる前の当たり前の幸せを感じてみたい
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