次は二条城にバスで行きました
☆二条城の歴史☆
慶長8年(1603年)に徳川家康が京都御所の守護と上洛の際の宿所として造営させた。家康はここで征夷大将軍の拝賀の礼を行い、また豊臣秀頼を迎えて威信を示した。寛永3年(1626年)後水尾天皇行幸に際し、ほぼ現在の規模になったが、その後は徳川将軍の上洛は途絶えた。天明8年(1788年)、市中の大火で本丸殿舎などを焼失し、二の丸御殿などだけが残った。そして慶応3年(1867年)、徳川慶喜はここで大政奉還を宣言し江戸幕府は終焉した。
その後、明治時代に宮内庁の管轄となって二条離宮と称され、昭和14年(1939年)に京都市に下賜される。
庭がとっても綺麗
☆うぐいす張り☆
忍者やくせ者?が来たときにすぐわかるように床が音が鳴るようにわざと
床を少し上げてます セコム入ってますか~
次に北野天満宮にバスで行きました
☆北野天満宮☆
北野天満宮は、菅原道真公(菅公)をおまつりした神社の宗祀(最も中心になるものとして尊びまつる)で、親しみを込めて「北野の天神さま」と呼ばれています。
平安時代中頃の天暦元年(947)に、京都に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが、当所に神殿を建て、菅公をおまつりしたのが始まりとされます。
その後、藤原氏により大規模な社殿の造営があり、永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念されました。この時から「北野天満宮天神」の神号が認められ、寛弘元年(1004)の一條天皇の行幸をはじめ、代々皇室のご崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきました。
江戸時代には教育施設として各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及し、その教室には必ず天神さまがおまつりされ、あるいは神影(菅公のお姿を描いたもの)が掲げられ、学業成就や武芸上達が祈られてきました
勉強の神様なので念入りに合格祈願お願いしました
来年は高校合格してみんなで一緒に笑おうね 班のみんな顔かくしてホントごめんね
オムさん☆彡
もっとたくさん面白い写真あるんだけど
個人情報でみせれないの残念よ~(#^.^#)