闇を表現するのも難しい。
どちらも形のないものだし
それをなんとかして
日本語という言葉にのせて
伝えようと思っても
なかなか、ぴったりくる表現が出てこなかったり。
そうするともやもやしたり、するんですよね、心が。
闇の中にあるもやもやを
日本語にすると
こういう答えにもなる、というのを
さっき読み終えた『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)村上春樹さんの作品で思いました。
実は苦手なタイプの作品ではあったのですが
偶然とはいえ縁あって私の所に巡ってきた本だったので
しっかり最後まで読もうと思って。
最後まで読んで良かった。
いろんな感情を表現するための言い回しが
回りくどいって感じる人もいるのかもしれないけれど
その闇を表現するには、この言い方が過不足なくぴったりだったように
私には感じられる部分があって、
どうしてこうも、この闇を日本語に置き換えられるのだろうかと
ある部分ではスッキリしたような気持ちにさえなりました。
総論としては、もやもやだけど。
そんな読後感とは正反対に
きれいな青空。
風が心地よい。
どこまでも
平穏で、静かで、ゆるやかな午後が過ぎて行く感じがして
風に撫でてもらっていると
深呼吸したほうがいいね、って思えてきます。
梅雨の合間の青空。貴重かな。
日焼けしちゃだめだから
太陽はなるべく避けないとだけれど
本当はぬくぬくポカポカと
日向ぼっこするのって、気持ちがいいよね。
僕は世の中は不確かなものだらけであり、見えているモノは一断面に過ぎずその断面から全体を推測しているだけなんじゃないかと思っています。
その推測以外に想定出来るモノがないと本質であると思い込んでしまっているが、本質は全てのモノは多様性で様々な要素を持っているんじゃないかと考えています。
だから光は実は闇であったり、闇は実は光であったりする様な気がしています。