ブラッドピットの演じるクールな殺し屋が、他人を一切信用しない冷淡さと躊躇しない残酷さ(ある種の優しさ)が印象的でした。ハードボイルドなので、アメリカンギャングが好きな方には視覚的に充分な映画だと思いました。
ストーリーは、アメリカの政治経済とギャングの賭場を皮肉に揶揄しているそうなのですが、私は映像の編集と演出ばかり気になって、一度観ただけではストーリーのトラップが解らなかったです。よくよく考えると、そうゆう意味だったのか、と思える面白いシーンが多々ありました。
好きな人には、好きかもしれないですね。この作品をもっと面白く観るためには、裏社会と表社会を客観的に対比しながら、ストーリー重視で観てみるといいかもしれないです。ブラッドピットは、渋くていい貫禄のある精悍な顔つきが印象的でした。鍛錬し、熟練のひとが出せるオーラだと思うので、羨ましいです。
それから、ラブ・ロマンス作品は、1996年のアメリカ映画・ロミオ+ジュリエット、1968年のイタリア映画・ロミオとジュリエットを家で観ました。
どちらも若く美しい男女の純情な愛が、憎しみを和解に導くのですが、あまりに大きな代償と引きかえになり、いたたまれない気持ちになりました。
愛は、罪も涙も赦し、憎しみさえ消してしまうことのできる、人間に与えられた唯一の確かなものだと思います。
可憐で、繊細で美しく、あたたかい、愛するということ、それは死さえもいとわない崇高なものなのだろうか。
もしかしたら、死よりも気高く永遠を証明するものなのかもしれません。この世界に存在する何よりも超越したものを、愛と呼ぶのかもしれません。そんな風に感じたのは、この作品が初めてだな、なんて感じました。
愛は、生ありきで、生きているからこそ永遠を誓い合い、意味があるのだと思っていましたが、もしかしたら生を超えてから生きつづけ、肉体のない状態で存在し続ける唯一のものかもしれないです。
そもそも外郭によって、たしかに存在しているはずなのに‘愛のすがた’は肉眼では見えないものなので、感じる体温、存在の尊さ、心の瞳で、人を見つめていたいです。
ロミオとジュリエットが死をもって愛し抜いたように、物怖じしない心、清い精神をもって、真っ直ぐでありたいです。
そして同時に、憎しみとは、なんて愚かなのだろうと悲しくなったこと、その気持ちを忘れたくないです。
今度は舞台で観てみたいです。
写真は、6月に読もうとしている本です。時間の許す限り、読書にあてがおうと思います。村上春樹さんは、優しい言葉の心地よさに止まらなくなります。うっとりするほど滑らかでその世界に陶酔してしまいそう。
#映画
#映画鑑賞
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