「五月物語」

母は運転中、一瞬たりとも前方から目線を逸らさない。
そして、シートにももたれず、眉間にうっすら皺を寄せている。
「運転は神経使うから、疲れるねん」とは母の言葉だ。
私は免許を持っていないので、まだ車を運転した事はないが、様子を見る限り疑う余地は無い。

「こうやって二人でドライブするのん、初めてやな」
母は相変わらず背筋をピーンと伸ばしたままそう言った。
「ホンマやな」
母とは頻繁に電話で話していたので、いつも一緒に居るような気でいたが、こうして実際に狭い車内に二人で居ると、久しぶりに会ったせいなのか、どことなく緊張している自分がいる。
そんな緊張を一人、むっつりと感じているのも気持ち悪いので、ストレートにそれを伝えると「なんでよー!もう!」と笑われた。
「多分、電話では感じることのできひん、圧迫感を肌で感じてるからかも知れへんわ」
「?」
「・・・太ったんちゃん?」
私の一番新しい記憶から、結構な感じでぽっちゃりしている気がする。
「あっはっはっはっはっは!あんたぁ~!あっはっは」
母は死んでしまうのではないかと思うくらい、息も絶え絶えに大笑いした。
「大丈夫?」
とはいいながらも私も同じように笑っていた。
「あんた!緊張するわ~とかゆうといて、太った?ってどういう事?!」
「いやいや、ホンマに!」
「失礼な子やなー」
「でも、太ったやろ?」
「あかんの?」
「いやいや!」
「せやろ?あんた、久しぶりに会った母親がガリガリになっとったらどうする?心配やろ?」
「そうやな」
「そうや!ちゃんと、娘に心配掛けへんようにママなりの気遣いやがな」
「そうなんや!奥ゆかしいな」
「そうや」

母は私が物心ついた頃から、いつもニコニコ笑っている。
正直、食事も喉を通らなくなったら良いのに、と思った事が何度もあった。
でも、当の本人はいつも楽観的で、もりもり食べて、のほほんとしている。
どこか他人事のようで、「なるようになる」というのが口癖だった。
当時、未成年だった私には何一つ手助けできる事は無かったが、そんな母を見てしょっちゅうイライラしていた事を鮮明に思い出す。

「そうそう、あんたはよ~ぉ、イライラしとったな~」
「そうそう、でも、この年になって、やっとそれが凄い事やなってホンマに思えるようになってん」
「あぁ、そう?」
「そう!でも、今日久しぶりに会ってみて、食事も喉を通らなくなったら良いのに、とは相変わらず思うけど。三日くらい。」
「あー、残念ながらそれは一生無いわ」
「うん、無いな」

そんな事を話しながら、母は私を山に連れて行った。

「ここは何処?」
「此処は山」
「知ってるよ!」
「あぁ、そうか。紅茶飲む?」
「ありがとう」

母は私に紅茶を、自分にはブラックのコーヒーを用意してきていた。

「ここで、若い時よー泣いたわ」
「そうなん?」
「そう。何で泣いてたんかは思い出されへんけど、ワンワン鳴いてた事は覚えてる」
「へー以外」
「あんた、覚えてへんやろな~。ちょうど、あんたがおなかに居る時に此処へ来て、マタニティーブルーやったんか、一人で泣いてたら、バンバンおなか蹴られたわ!多分、聞こえとったんやろな」
「そうちゃう。ほんで、そんなブルースポットに何で連れてこられたんかな?私」
「あっはっはっは」
「さすがに、もう蹴られへんで?」
「あっはっはっは、そうやな」
「うん」
「特に、意味はないんやけど、丁度あんたの年であんたを産んだんやなーってこの間ぼーっと考えとったら、此処やなって」

身重な母が、見晴らしがいいわけでもない寂しいこの場所で人知れず、泣いていたのだと思うと、今、こうして隣に居られる事を嬉しく思う。
まだ、口には出せないが。

私の年齢で母親になった母―。
私はまだ産まれていない、母としては。

「あんた、ほんで、誰か良い人居てないの?」
「いてない」
「それはやばいで!」

これにはウケた。

「お母さんでもやばいと思うことあるの?」
「あるよ!あんた、心配やがな」
「そうなん?ありがとう」
「少子化やねんから~」

母は考えることが大きい。
「なるようになるよ」
もしかしたら、ようやく母に似てきたのかもしれない。

「何か美味しいもん食べに行こうや!久しぶりに会った事やし」
「そうやな」

そういうと、母は決まっておうどんと言う。
娘的にはこんな時くらい普段は食べないようなものをリクエストして欲しいのだが。

「あぁ、そうそう、なんかいるもん無い?」
「無い」
「いやいや、もうスグ母の日やん?なんかプレゼントさせて頂きたいんですけど?」
「あぁ、そういう事?」
「そういう事。何でもいいよ?」
「ふん。今、パッと思いつけへんから何かエエのん考えとくわ」
「うん、考えといて」
「分かった」
「うどん以外やで」
「ありがとう」
「私こそ、産んでくれてありがとう」

後日、母から送られて来たメールには季節はずれの名前が付いた花の苗が欲しい、とあった。
聞いたことも無かったが、調べてみるとやはり花が咲くのは半年後だ。

「お花が咲くのは年末やで?」

「知ってるよ!それを待つのが楽しみやん」

育てることを知っているというのは、こういう事なのかとしみじみ思った。
母は見かけよりも更に大きい。

コメント

れおんさんこれは実話ですか?

ちょっと読んだ感じ、れおんさんとそのお母さんは似てないですね。

でもナイーヴなのに楽観的に見えるところは、そっくりですね。

「いてない」ってところに、ファンとしてはホッとしました。笑

Nantsu 2013年05月24日

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