3.11

二年前の今日、忘れる事の出来ない

あの地震と津波、そして原発事故がありました。


私はその時、長女の下校時間だったので

二女と二人で、途中まで迎えに行き

帰宅したのと同時に起こった地震でした。

ですので、娘と3人ですぐに玄関から外にでました。

たまたまその日は主人も仕事がお休みで

自宅に居たので、主人も外に出て

家族で揺れる家や車を見ながら、

私は、泣く二女を抱っこして、ひたすら

「大丈夫よ…大丈夫よ…」と自分に

言い聞かすように言っていたのを

覚えています。


あれから二年、まだまだ復興には

時間がかかりそうですが、

少しでも力になる事が出きればと思っています。

そして、少しでも被災された方の心が

癒されますように…


photoカメラ
真鶴にあるレストラン上のギャラリーに飾ってあったワイヤーアートです。

コメント

震災の日は、長い日本の歴史にも忘れられない日になりましたね。
いまだに被災された方の多くが避難生活を余儀なくされている事を
忘れてはいけないですね。いつ自分たちも同じ境遇になるやも
しれません。地道に長く自分たちの出来る身の丈の後方支援に
なる事を続けて行きます。日本人の絆は、世界一だと信じています。

となりのタマ 2013年03月14日

おはようございます。

本当に信じられない事が起きた、二年前でしたね。

私も家族の安否がなかなか取れなくて、不安な時間を

過ごしました。

今も変わらない被災地を、早く復興してほしいですよね!

なな 2013年03月12日

震災の日!被災された方は、自分たちの代わりの様に今でも思います。

私も家族の顔を見るまでは、本当に生きた心地がしませんでした。

帰宅方法は、バスと徒歩だけで誰とも知れず同じ方向に帰る人たちと一緒に時間を忘れるぐらい無言で歩いてた記憶だけがあります。

幸い家族も元気でいたので本当に顔を見た時は安堵しました。

後日、仙台の友人の訃報には、今でも安否確認が取れないので信じられない気持です。

残された家族は未だに震災と戦っています。

耳障りの良い言葉だけでは、何も解決しない。

何も変わっていない事も現実です。

今まで通り被災地に向けて我が家で出来る事を続けて行きたいと思います。

生かされてる人たちも言葉ではなく行動で示して欲しいと願っています。

冬虫夏草 2013年03月12日

早いもので、もう2年になるんですね。

当日は休みだったので、自宅で外出の準備中でしたが、大きな揺れに生きた心地がしなかったのを覚えています。

しばらくの間、駅構内やスーパー、商店などでは節電の為にエスカレーターを停止し、照明を落としていましたね。

必要以上に電気を使い過ぎ、明る過ぎたことを思い知らされました。

計画停電で不自由な生活を強いられた地域の方々もいらしたと思いますが、その後行われることはないまま現在に至っています。

未だに避難生活を送られている方も多くいらっしゃるのに、当たり前のように普通の生活を送っているのは申し訳なく思えます。

復興への道のりは長いかも知れませんが、風化させることなく、あの日のことを思い出しながら、国民全体で助け合って行きたいですね。

アメジスト 2013年03月11日

私はあの時、ビルの4階にある書店にいました。
どんどん大きくなる揺れの中、
どこかで大変な地震が起こっているのを感じていました。
まさかあの後、あれほど多くの方が津波で命を落とされるとは
想像もしませんでしたが・・

いまだに仮設住宅での生活を余儀なくされている方々の
ことを思うと、申し訳がない気持ちになるのは
自分が幸せな日常を過せているからなんでしょう。
今、生かされている人達は、思いやりを育てながら
しっかりと生きていかなければなりませんね。
これからは与え合い、支えあい、協力しあう、
そういう時代だと思っています。

祗園 2013年03月11日

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