あの地震と津波、そして原発事故がありました。
私はその時、長女の下校時間だったので
二女と二人で、途中まで迎えに行き
帰宅したのと同時に起こった地震でした。
ですので、娘と3人ですぐに玄関から外にでました。
たまたまその日は主人も仕事がお休みで
自宅に居たので、主人も外に出て
家族で揺れる家や車を見ながら、
私は、泣く二女を抱っこして、ひたすら
「大丈夫よ…大丈夫よ…」と自分に
言い聞かすように言っていたのを
覚えています。
あれから二年、まだまだ復興には
時間がかかりそうですが、
少しでも力になる事が出きればと思っています。
そして、少しでも被災された方の心が
癒されますように…
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真鶴にあるレストラン上のギャラリーに飾ってあったワイヤーアートです。
震災の日は、長い日本の歴史にも忘れられない日になりましたね。
いまだに被災された方の多くが避難生活を余儀なくされている事を
忘れてはいけないですね。いつ自分たちも同じ境遇になるやも
しれません。地道に長く自分たちの出来る身の丈の後方支援に
なる事を続けて行きます。日本人の絆は、世界一だと信じています。