たとえ目の前に
何も描かれていない真っ白な紙があったとしても
何気ない状態で、それが完全なる白になっている可能性は
とても低い。
何かの影が白い紙に入っていたり、
光の色が写り込んでいたり。
周囲の影響を全く受けない
完全なる白。
それは唯一
心の中に存在するもの。
昔、単なるイメージとしてなのですが
真っ白い部屋の中に
ぽつんと浮いているような座っているような感覚を感じたことがありました。
その時は、その白い部屋が
雑多な色や音で溢れた世界から、逃げ込んで行きたくなるような場所であると同時に、
とても寂しくて、空虚で、
抜け出したくてたまらない場所のようにも思えたのですが、
今は少し
違うようにも感じています。
完全なる白。
時々、休みの時に
何もしない時間を作るようになった私。
やるべきことは
もちろん山のようにあり、
勉強したいこと、挑戦したいこと、
時間があれば次はこれ、ということが
限りなく常に後ろに控えているような感じなのですが、
時々、頭の中がちょっと
もごもごしてきたな、もしゃっとしてきたな、
という時。
これは、ぐちゃぐちゃになってしまう一歩手前という感覚なのですが、
この、ああ、ちょっと、もしゃっとしてきたなあ
というタイミングで
うまく
何もしない、という時間を組みこんで行くんです。
この時間を組み込むことによって
何もしない、の前よりも
逆に加速してエンジン全開で猛ダッシュ出来たりもする。
結果、やりつづけていた時の何倍もの結果が生み出されていたりする。
何もしない、という時、
家でぼんやりすることもあるのですが、
好きな海にいったり
川のそばに居たり
元気があれば滝も観に行ったり
何かを目的に設定して行くんじゃなくて
ただ自分が、真っ白い心になれる空間を求めて行く。
そんなことを考えていて
1つ解決したかもしれないと思ったのは、
自分の落ち着く場所、水辺について。
目の前にあったペットボトルに入った水を見て
気が付いたんです。
水は
ほとんどの場合は
無色透明で
形を自由に変えることが出来ます。
どんな形にもなり
完全なる透明な存在。
水は確かに存在しているのだけれど
無というものの1つの表現が
水の中に含まれているような気がして、
その瞬間に
ああ、だから水に触れると
心が落ち着いて、自分の中の何かが
クリアになっていくような感じがするのかもしれないなと
思ったんです。
理由とか、理論とか
うまく組みたてられていない状態で
かなり感覚的な話なので、
根拠は?と問い詰められるとなんとも答えられないところなのですが、
自分の中では
妙に納得してしまいました。
心の中にだけある、完全なる白は、
色としての白、が重要なのではなく
無であることの表現の1つだったんです。
そして
自然の中で、それを表現しているのは
透明な水の存在だった。
心の中に透明を作ることが出来なかったから白で代用し、
目で見る世界では白もまた色彩と存在の1つであるために、
水の透明さと自由さが今度は逆に、心の中の白に近いように思えたということ。
ゼロになっていく感覚。
どんな色も
どんな物も
どんな切り口でも受け入れられる
完全なる白、
透明だけれど存在している、無の表現。
1年の最後をしめくくる前に
いろいろ考えたいな、とも思っていたのですが
まずは
ゼロにしてから。
すっきりとした気持ちで。
なるべく
心の中から余計なものを無くしていってから。
明日、2012年最後の日、
何が溢れ出て来るのか、
自分でも
楽しみにしたいと思います。
コメント
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哲学的な文章ですね。白も確かに色には色ですね。日本の国旗も白地です。雪もノートも白。子供の時は、白なんて つまらない色なんて、思ってたけど、意味深い色だと気づきました。