読んでは書き写してみたりして
なんとかセンスが磨かれないものかと奮闘する日々。
「センス」とパソコンでタイプして「扇子」と真っ先に変換されてしまう時点で
日本語文章の「センス」アップへの道のりは、ぐっと遠く感じられます。
そもそも
良い、悪いというのは
主観の問題であり、
つまりは
「いい文章だなあと思う物」というのは
単に「私が好きな物」ということになるんですよね。
他の人が読んだら、なんか違うなあって思う事もあるだろうし。
ファッションでも、
食べものでも、
異性のタイプでも、
個人的な「好み」の問題。
なので、
考え方をちょっと変えて
「私の好きな文章」ってどんなもの?
と考えてみる事にしました。
私が、いいなあと思う時は、
1・同じ書き手の、他の文章も読んでみたくなった時。
2・読み終えた後に、いろんな考え、想いが、自分の中に次から次へと沸き起こって来るような時。
3・今目の前にはない何かが、文が着火剤となって、ぐんぐん広がった時。
こんなところでしょうか。
1の「同じ書き手の他の文章」は、書き手独特のリズム感が心地よく感じられた時だとか。
もうちょっとこの書き手の世界に浸りたかったなあ~、おかわり!という感じで。
2の「読み終えた後」に沸き起こるものについては、
私自身の修行の問題も大きく関与してきますが、
自分で何かを書く時、誰かと話をする時も、
読んだ人、聞いた人の心の中に
何か新しいものが生れていったら素敵だなあと思っているからです。
3の「世界が広がる」ことは、2のこととも繋がりがありますが、
日常の中で世界を広げる難しさを感じたことから。
常日頃広い目を持つように心がけることは出来ても、
実際に世界がぐんと広げられることって、実はかなりのエネルギーが必要だったりもするんですよね。
だから、何かを読んで、何か話を聞いて、ぐんといろんなことを広げてもらえるものだなんて、なんだかすごい。
強いパワーがある発信源なんだ、と感じるわけです。
自分の内なる声に素直に疑問を投げ続けること。
そして
発信する者として
外へ向かって、生真面目過ぎず、遊びながら、でも丁寧に、自由に
色に溢れたものを投げ続けること。
とても、難しいことです。
きっと、
一生の課題。
と、そんなことを書きながら
今回の添付写真は、
最近気が付いたスケッチモードで写真を撮ってみたの巻。
斬新。
ここがこんな風に黒い線になるのか。
結構こういうのも楽しくて好きです。
ウィルさんや森ちゃん、海ちゃんも撮ってみよおっと。
まりさん

こんにちわ
好きな文章…
そうですね、世の中に名作とされる作品は沢山ありますが
私もどうしても最終的には好き嫌い主観的な観点になってしまいます。
名作とされる作品を沢山残した作家の中では三島由紀夫が一番苦手ですね
あの独特の読み手に自己の美意識を押しつける様な文体がどうしても…
勿論『美神』一つの作品で全てを語る事はできませんし-葉隠の有名な一節『武士道とは死ぬ事と見つけたり』に象徴される独特の死生観は学生運動が盛んだったあの時代の若い世代に多大な影響を与えた事は無視できません
又時代が巡り三島を再評価する動きが一部にありますが私は日本が極端な右傾化に向かって居る様で危機感を禁じ得ません