生きるということ。

世の中を見渡して、思うことです。
これは、私の人生観を綴った文章です。

日常を見渡すと、人として生きること(愛、金、欲)で起きてしまう苦み、しがらみによって人間であることが酷なことのように思うときがあります。
私は、自分という生命体が、人間で生まれても、そうでなくても、
目に見える形としての存在にこだわりはないので、そんなことを思ってしまいます。

もしも私が花や、猫や、草木として存在していたら、それも幸せに思います。きっと巡り巡って私になったのでしょう。そしてのちに私から、この生は受け継がれて転生するのだろうと。

人間ひとりが人生を生き抜いていくことは、
現実に想像するよりも、ずっと大変なことです。

何百年と時代を重ねても、近代化が進み合理的な世の中になっても、
あらゆる思想によって世の中が変わっても、
今も尚多くの人々が、路頭に迷い、生きる意味を探しています。

しかし、生のあることの本質はもっとシンプルで、素朴で、寛容であることではないでしょうか。
草木のように、風を感じ太陽を浴びて、呼吸をする。大地のように壮大で、空のように寛容なこころをもち、あらゆる生命のように生きることだけのために生きる。

そんな生きかたが出来ないのが人間の愚かなところです。すばらしい人生というのは、今この瞬間に歓びのなかで生きることが出来るか。その心持ち ひとつではないかと思います。

という私も、 日常のなかで擦れていってしまう、命ある歓びと感謝のこころを忘れてしまい、
この地球上の生命や自然を心に写しては、その生き方によって癒しを得ていますが、
せこせこと生きたりせずに、いつも 今日、この時が大切なんだ。
という大胆さ、寛大さをもっていこうと思います。
ゆっくりと、悠久の自然のように、命ある生を感じながら。

生きていることで得る感謝や幸せだと思う瞬間を、
大切なひとにもたくさん与えられることができれば、幸せに思います。
純粋なものを目に写し、地球がくれる、限りない生命たちの清らかな愛を思うと心が洗われます。

そんなように、愛をそそぐことができ、愛に満ちたこころと、すべてを癒してくれる自然の恩恵を感じながら、この地球に対して、
人として生まれた勤めをしながら生きていきたいです。

他人を幸せにしよう、人を救おう、その前に自分にできることがあります。
それは“自分に与えられた生に感謝する”
それだけでも立派な つとめだと思います。
それこそが、すべてが動き出す一歩なのだと感じています。

コメント

ポンタさんへ。指輪
コメントありがとうございます。
人間は、生命の世界だけでなく、何億千年と続く
たましいの世界があるそうですよ。
私たちは、たった一人、自分だけの命ではないのですよね。
生きた証や人間のこころの部分は、必ずたましいに刻まれるのだな、と思います。クローバー

 いしがみ ゆりえ 2012年11月20日

こんばんは 私も考えてみると、何か世の中の役割 使命を与えられて人は、生まれて来ると思うんです。

カカオネコ 2012年11月12日

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