蒔いたっけ?



『蒔いたものしか刈り取ることはできない。そこに近道はない。それが農場の法則。』



スティーブン・リチャーズ・コヴィー(Stephen Richards Covey)さんの言葉。

彼は残念ながら今年の夏に亡くなったばかりですが、
著書は38の言語に翻訳されるほどの世界的に有名な作家であり経営コンサルタントでもありました。

今日種蒔きして来週には実を収穫したいんだけど
桃が食べたいよね

なんてことは、無理なわけですね。

もやしやカイワレ大根が食べたくて栽培をスタートさせるならまだしも。


おかしいなあ、栗落ちてこないなあと首をひねって一年目。

いやいや、
それは三年待って下さいという話ですし
そもそもその木は確かに栗の木なのですか?という話もあります。

はたまた
諺と実際の成長は違う結果かもしれませんよ、ということかもしれません。


しっかり種蒔きしたところで
種の中には上手く発芽しないものもあるでしょう。

双葉がぴょこんと土の中から出てきたって
その後上手い具合に成長しないものもあるでしょう。

そうこうしているうちに、
間引きをしなければならなくなって、

間引いてみたところ

後になって、
あっ、あの時に間引きで捨てちゃったものが、欲しかったのかも…

なーんて言ったって、もう遅いわけです。

その場合は、また種蒔きからやり直せばいいわけですから
正確には「遅い」わけではないのですが。


以前、ハーブを種から育ててみようと奮闘して
結果、双葉までは出てきたものの
その後一向に成長せず
全滅だったことを思い出しました。

種を蒔いたからといって
1つも「実」にならないことも
ままあるということを
ハーブに教えられたのでした。

(後からよくよく調べてみたら、その種のハーブを種から育てるのは極めて難しく、初心者はまずは苗から育てて頑張るべしというようなことが判明したのでした。種蒔き以前の問題です…。)



ただし

『蒔いたものしか刈り取ることはできない。そこに近道はない。それが農場の法則。』

そうなのです。

「刈り取ること」ができるものは
「蒔いたもの」なのです。

「蒔いた」からと言って必ずしも「刈り取ること」が出来るわけではありませんが、
蒔かなきゃ、何も始まらないのは事実。

買わなきゃ当たらん宝くじ、にも似てますね。



「近道」しようと無理をすれば

熟さないまま実を切ってしまって大変なことになった青臭いアボガド、みたいな状態になるとか

急いで収穫して割ったらいまいち食べる部分が足りない落花生の中身、みたいな状態になるとか

無理な「近道」には、残念なお知らせが待っているわけです。



「近道」しようとすれば
近道しただけのものしか手に入れることはできず、

無駄に遠回りし過ぎていると
あったはずのものも朽ちて無くなっているかもしれません。



自分に足りないものに気が付いた時に
それを育てるために必要なものを揃え
成長できるように栄養を与え育て続けているだろうか
と、スティーブン・リチャーズ・コヴィーさんの言葉を読んで思いました。


『蒔いたものしか刈り取ることはできない。』

ないものねだりをしていたんじゃないか。

そもそも種を蒔いてなかったんじゃないのか。


『蒔いたものしか刈り取ることはできない。』

私に必要な適切な種選びは出来ていたのだろうか。

その後の育てる努力が足りていないんじゃないのか。


『そこに近道はない。』

植物の成長を番組尺におさめるための倍速カメラ映像のようにはいかないのです。



『蒔いたものしか刈り取ることはできない。そこに近道はない。それが農場の法則。』



いろんな私の大好きなものが
たくさん実を結ぶ、丈夫な木が育つように

もっともっと
頑張らなければと思う、そんな午後でした。




参考著書:『賢人たちに学ぶ 道をひらく言葉』(かんき出版) 著者:本田季伸

コメント

いいお話ですね(笑)ほっとした顔


心に響く言葉です


近道せず


遠回りせず


程よい所ですねウッシッシ


まりさんに感謝しますウッシッシ

隼人 2012年11月08日

今日のお話で、夏に播いた、私の桃のタネが
いまだに発芽していないことを思い出しました。。。芽

やはり実のなる木を、種から育てるのは、
難しかったようです。はぁーーーっ。湯のみ

まるみる 2012年11月07日

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