とか
特に理由はないけど、ふと思いついて
とか
そんなことが、何かにバッチリ当たっていたり、
これに呼ばれた?なんて思うくらいの偶然があったりすることがあるんです。
だから私はいつも
「わけは知らないけど、なんとなく…」
と心に浮かんだことを
なるべく大切にするようにしています。
その感覚は
いつも頭の斜め上から横、後ろにかけて
すっと通り過ぎて行くような感じで、なんとなく、と思うので
気を付けていないと見逃したりもしそうなのですが、
経験上、この「なんとなく」に付いて行ってみると
うまく物事が運んで行くような気がしています。
自宅で
読み終えた本の中から
なんとなく
『超訳 ニーチェの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
を手にとって
なんとなく
ぱらっとページを開いたんです。
そしたら
こんなことが書かれたページに当たりました。
「自分は常に新しくなっていく」という章で、
「かつてはこれこそ真実だとおもっていたものが、今では間違いだったと思う。かつてはこれこそ自分の変わらぬ信条だとしていたものが、今では少し違うと思う。」
先日のブログで自分が書いていたことを思い出しました。
その先日のブログはこちら
↓
「眠っている隙に」
http://beamie.jp/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=...
考えが変わって行くこと、
以前思ったことと今は少し違うなと感じることについて
ニーチェはこう続けています。
「それを、自分は若かったとか、浅かったとか、世間知らずだったと断じて葬らないほうがいい。なぜならば、当時の自分にとっては、そう考えたり思ったりすることが必要だったのだから。当時の自分の段階にあっては、それが真実であり信条だったのだ。」
先日の記事では
ピアノをコンクールで演奏することについて
私は当時、証明してくれる何かのために必死だった、そのことを
今は違うと感じている部分もある、という話だったのですが、
当時の自分にとって、必要だったこと、
当時の自分に対しては嘘偽りのない、まっすぐなパワーだったこと、
そういうことを
真っ向否定することは大切じゃなくて
今、思う気持ちは
前とは変ったんだなということを
今の、ありのままの自分の心として受け入れて行くこと
そのことが大切なんだなと思いました。
これはニーチェの『悦ばしき知識』という著書の中に出てくる言葉だそうで、
「人間は常に脱皮していく。常に新しくなっていく。いつも新しい生に向かっている。だから、かつては必要だったものが、今は必要でなくなったにすぎないのだ。」
昔、ザリガニの子を
ほにゃっほにゃの綿ゴミくらいの感じのころから
水槽で育てたことがあったのですが、
脱皮すると
するりと抜けて、皮が目の前に転がってるんですよね。
脱ぎ捨てた皮は
今自分が身にまとっている皮とは
明らかに違う物質になっていて、
目の前に脱ぎ捨てているから、どんな状態だったのか
身に着けていた時よりも、よく見えるんです。離れて観察することが出来る。
それが、今とちょっとだけ違うのか、
ものすごく違うのか、
脱皮したからこそ、分かることもあるはず、という気がします。
それは脱皮してみるまでは気がつかなかったこと。
脱皮する前は第三者が気が付いてくれるのかもしれません。
「だから、自分を批判していくこと、人の批判を聞いていくことは、自分の脱皮をうながすことにもなるのだ。さらなる新しい自分になるために。」
まだ自らの力でぐいっと皮を脱ぎすてられそうにない時は
誰かの意見を聞いてみるのも、いいかもしれないですね。
ずっと前に、誰かに言ってもらっていた事を
言われてから時間が経って、ようやく自分で脱皮出来た時に
はっと気がつくこともあるかもしれません。
そう考えているうちに
私が以前、何かを決める時、選ぶ時に、よく心に抱いていたことを思い出しました。
後悔は、どっちに進んだって、いつかするのかもしれない。
でも、今この瞬間に、自分が信じて決めたことについては
自信をもってあげよう。
後から、違ったなあと思う事なんて、たくさん出てくるかもしれない。
でも、あの時私はしっかり考えて、納得して決めたんだ、と
せめて、あの日の自分の気持ちくらいは、否定しないであげよう。
そう思ってたんです。
今の自分に
過去の自分からのメッセージ。
満月のパワーに乗って、届いたのかもしれないな
なんて思いました。
参考著書:『超訳 ニーチェの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
著者:フリードリッヒ・ウィルヘルム・ニーチェ
(Friedrich Wilhelm Nietzsche)
日本語訳:白取春彦
・・・ウィルさんは・・・
ニーチェがうんぬんより
お腹の毛を整えるのに
忙しいご様子です。
呼んでもこっちを見てくれませんでした…。
マイペースでリラックスしているお家時間のウィルさんも大好きです。
なるほど



自分も時として勘らしいのは
ある気がします
霊感では無く
なんでしょうね(笑)
不思議ですね