短編物語 夕暮れの珈琲

私はいつも商店街から駅に続く路地を通るたびに、あの喫茶店の小窓を見上げてた。
そこは狭い階段を登った2階にある喫茶店でまるで秘密の隠れ家に通じているトンネルのようにも思えた。
そんな未知のトンネルの先からは、かすかに淹れたての珈琲の芳香な香りが漂い、私の鼻孔をくすぐる。人の手にかけられたぬくもりとともに温かさのある芳醇な香りがただよう。せわしなく働く営業廻りのサラリーマンでさえ訪問をさぼって珈琲の香りに誘われ足を運んでしまうだろう。私は誘われるように階段を登った。
見てみたかった。
この未知のトンネルの先に、どんな景色が待っているのか。
重いドアを開くと、白髪の小柄なおばあさまが笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
白いワンピースに身を包み、髪を束ねて、小奇麗な身なりをしていた。私は一番奥の小窓があるテーブルについた。頼むものはどこの店でも決まっている。メニューを見る必要はないのだが、手渡しで差し出されたメニューを笑顔で受け取り一通り目を通した。
丁寧に接客してくれるおばあさまへの一応の礼儀と、この店が本格的な珈琲を出す店なのかはメニューの品書きで分かるからだ。
ブレンド珈琲を頼んでから、私は店内を隅々まで見渡した。
昔の良き時代の西洋の面影。ヨーロッパの古い街並みにある家を思わせる。木の小窓。赤いソファ。柔らかい光のランプ。観葉植物。テーブルの上の真っ白なシュガーポット。

5分程しておばあさまが運んでくれは珈琲は、今まさに淹れたての香りが立っていた。ほのかな苦味のなかに柔らかい口あたりで今までのどんな珈琲よりも深い味わいがする。こんなに味わった珈琲は初めてかもしてない。美味しい珈琲に心が満たされていた。

どれほどの時間を過ごしただろう。
やがて夕暮れに空が染まると小窓から西日が差し込んで店の中のそれらは、夕焼け色の光を浴びた。すべてを包み込むような柔らかい光によって照らされ、私の心にまで沁みるような温かさをくれた。
初めて訪れた場所なのに心地よくて、落ち着く。
それに私は、このおばあさまのこともすぐに好きになった。
特別、会話をしたわけではないが、彼女が綺麗な年齢の重ね方をしていたことや、素敵な人生を送っていることがすぐに見てわかったからだ。
いや、彼女にも波乱万丈な出来事があったのかもしれないが、いとも容易くなんなくすり抜けてしまったような可憐さと、そんなしがらみを感じさせない、柔和な笑みがこぼれていたからだ。
素敵な女性(ひと)とは、こうゆう人生を送っている人だ。それは必ず外見に現れる。彼女の纏うオーラには好きなものに囲まれ、すきな音楽に耳を傾け、好きな空間に身を置いて、丁寧に生きてきた証がある。
小窓から見下ろした地上には、足早に行きかう人々が、小人のように見える。
せわしなく日常を送り、ロボットのように動く。
スタスタ、スタスタ。この二分間に何十人の人を見ただろう。
私が小窓から見ていることに、気が付く人はいない。

それはそうよ。ただでさえ、地面しか見ていないのだから。
ここは、この喫茶店は、それにこのおばあさまの存在は
まるでおとぎ話に出てくる物語の世界みたい。
もしかしたら、おばあさまは魔法を使えるのかしら?
このシュガーポットやコーヒーカップも真夜中に踊り出したりするのかしら?
気がついたら私の心は童話の世界まで飛躍していた。

この喫茶店は、実在する魔法の喫茶店なのかもしれない。
なぜならここは浮世離れした世界で
時を忘れ、日常から切り離されたようで
こんなにも癒しに満ちて安らげる
〈魔法の空間〉といえるからだ。

コメント

Helmutさんへ
コメントありがとうございます。
日常のなかにこそ、本来見えてくるものがあったり、
気が付かないけれど、不思議なことってありますよね(^_^)
自分らしいことを、続けて何かを見いだせるように
がんばります。
ありがとうございます!!揺れるハート

 いしがみ ゆりえ 2013年01月07日

日常の中にも魔法のような場所ってありますよね。それが何か特定のものでは無くて、全ての要素が絡んで出来上がる空間だったり。悠里江さんのその芸術的才能が日本という小さな枠を超えて表現し活躍する時を楽しみにしています!悠里江さんの文章は大好きですハートたち(複数ハート)

Helmut 2012年05月18日

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