じんと胸に来た作品を読みました。
『青い鳥』(新潮社)
重松清さんの連作小説です。
とある中学校と、そこに現れる国語科非常勤の村内先生の物語。
村内先生はうまく喋ることが出来ず、
カ行やタ行、濁音ではじまる言葉などはつっかえてしまいます。
そんな先生を見て、生徒たちはなんでこの人が先生に?
しかもよりによって国語?
と驚くのですが、
次第に、先生の存在と大きさに心が動かされていきます。
村内先生はつっかえながら喋るので、
聞いている方は何度も聞き返したりもするんですが
「でも、伝わるのよ。村内先生が言いたいことは、ちゃんと伝わる」
そう相手に感じさせる人なのです。
生徒たちに大切なことを伝えたい。
うまく喋れないから、大切なことだけを言う、村内先生。
生徒の「たいせつなことと、正しいことって、違うんですか?」
という質問への答えが印象的です。
「たいせつじゃないけど、正しいこと、あるよな。
しょうがなくて正しいこと、やっぱりあるし、ほんとうは間違ってるのに正しいことも、あるよな。
そんなの、たくさんある。新聞やニュースにもたくさん出ている。
正しくなくてもたいせつなことだって、あるんだ。
でもたいせつじゃない、たいせつなことは、絶対にないんだ。
たいせつなことは、どんなときでもたいせつなんだ。(後略)」
「先生は、正しいことを教えるために先生になったんじゃないんだ。」
「先生は、たいせつなことを、教えたいんだ。」
なんだかとても
胸の奥深いところに
ぐっと入りこんできた感じがしました。
村内先生は、ちゃんと話を心で聞いてくれるんです。
表面上の言葉に惑わされることなく、
心の中にある本当の意図を聞いてくれていた感じがします。
ささくれた心、当たりちらしたい気持ち、みんな寂しくて、ひとりぼっちになりそうで、怖くて、いろんなことを抱えている、そんな生徒たち。
話しをすることも大切で、
もちろん会話から理解が深まることもたくさんあるけれど、
一番大切なのは、心なんだねと
ぎゅっと胸を掴まれた気がします。
村内先生に似た人を知っているような気がして、
あ、そうか
と思い出しました。
昔、好きだった本です。
『ふしぎなかぎばあさん』(岩崎書店)
鍵を失くした鍵っ子を助けてくれて、家族が帰ってくるまで
一緒にいてくれる不思議なお婆さん。
どこからともなくやってきて、また消えていく。
かぎばあさんに、ちょっと似ている気がします。
コメント
いいね・コメント投稿・クリップはログインが必要です。
ログインする
不適切なコメントを通報する