ということで
トーマス・ルフ展のお話。
写真が一度に6枚までしか掲載できないので
分けて書きまーす。
皇居のお堀のすぐそばにある、東京国立近代美術館にて
ドイツの写真家
トーマス・ルフの展示を観てきました。
前回も少し触れましたが
トーマス・ルフ、といえば
人間の上半身を撮った証明写真のような作品≪ポートレート≫はとても有名な作品で
今回の展覧会のポスターにもなっていました。
この≪ポートレート≫の何枚かあるシリーズのうち、2枚を横浜美術館で
以前観たことがあったのですが
図録やインターネット上の情報だけではわからない、
本物のプリントの美しさ、大きさを間近で感じて
すごいなあ、きれいだなあ、パワーあるなあ
そんなことを思っていたので
今回のトーマス・ルフ展はとても楽しみにしていました。
今回の展示は
トーマス・ルフがどのように写真と向かい合ってきたのか、
その変遷も感じることが出来ます。
写真を使って、自分自身に、そして観る人たちに、様々な質問を投げかけてくるトーマス・ルフ。
観る、とは何なのか。
写真を観る時に、その物と私たちの間に、何が発生しているのか。
様々なアプローチから考えさせられて
何度も行ったり来たりと、展示室内をぐるぐると巡ってしまいました。
例えば≪ポートレート≫は単なる正面を向いた上半身写真のようにも見えますが
実はトーマス・ルフの友人たちに、着る物や見え方などを細かく指定してカメラの前に立ってもらったもの。
ルフは
「カメラは現実をとらえるものだが、その現実は変えることができる」
と考え、作られた作品なのだとか。
一見、ありのままを写しただけのように見えて、
実は作者であるルフの意図を見せられている鑑賞者、私たち。
写真は真実を写すとは限らないことは
写真という機械に関連した仕事をしている私自身、
多く感じるチャンスがあるはずなのに、
改めて、≪ポートレート≫とルフの考えに
はっとさせられたのでした。
今回の展示の中で
好きか嫌いかでいうと、もしかしたら嫌いな方に分類されてしまうかもしれないけれど、
それでも強い印象を残した作品群は
≪夜≫のシリーズ。
微光暗視装置の35㎜フィルムカメラで撮影した写真が並ぶのですが
写っているのは、平和な街の、いつもの夜。
でもこの黒と緑色に出力される撮り方にすることによって、
急にとても不穏な印象にさせられるのです。
ひとつのイメージで、これだけ観る人の気持ちを
不穏であれ、動かして考えさせる作品というのも
すごいことだなと思いました。
「作品は観る人自身をうつす鏡のようなもの」
とルフは考えているそうで、
この言葉にもまた
そうか…と改めて納得させられたり。
人は、今ある知識、それまで過ごしてきた環境、情報によって
目の前にあるものを、判断しているんですよね。
だから何年か後に、まったく同じ小説を読んだり、映画をみたり、絵画をみたりした時に、
昔と違う感想が湧きおこってきたりする。
それは自分がいろんな意味で変わったから。
写真は静止画だし
映像、音や文字と一緒になったものよりも、
観る側の解釈の自由度が高いのかもしれないな、と思いました。
というわけで
つづく・・・
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