セバスチャン・サルガド

心に残ったドキュメント映画
〈セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター〉




人間を愛し、人間の人生を撮り続けた写真家は
内戦と飢餓を目の当たりにし人間の救済を失った世界に絶望した。


そんなサルガドを癒し救ったのは自然だった。
失われた森は芽から再生し、木は哲学を語りかけ何百年と生きていく。
彼はその姿にやすらぎを見つけ求めていたものを手にした。

生きものにシャッターを向け写真に収める天才写真家は、光を描く人であり、あらゆる生物の人生を映しだす人だった。

サルガドの写真には、被写体の魂に刻まれた感情まで伝わってくる。

私は彼の捉えたアフリカ難民の飢餓と、クロアチアの内戦を映した数枚の写真から目を背けられず、食い入るようにその惨状を見つめた。とにかく頭に刻みたかった。人間として知るべきだと感じたからだ。

私が見たものは、生きるという選択すら与えられず衰弱し餓死していく人々と、内戦による飢餓に追い込まれた人々の死を映したものだった。

人間の最低限の尊厳すら与えられない死などあってはならない。
民族には知恵があり尊厳がある。
なにを捕食し、どんな伝統があったとしても、その文明のなかに合う生き方をすればいいと思う。
私たちはそこに手を加えず、新しい文明の利器を与えずに、尊重することが民族の文化を守ることだと思う。

しかしそれが内戦や飢餓により枯れた地で一滴の水もなく、生まれてただ死を待つだけの命は明らかに違う。

少数民族のように、生まれながらの環境で誇り高く生きることが彼らの人生であることとは全く違い、
貧困の地で生まれた赤ん坊に、これが与えられた生きる環境で摂理に沿った定めだとは到底思えずに、

この理不尽な貧困問題は明らかに人為的に起こったことが原因だと思うと憤りに震えた。


サルガドの写真からは、私にはないものの見方、受け入れかたが溢れていた。単なる記録写真ではなく、すべての命に心からの慈悲と敬意が満ちていた。

私は人間の生きること、死ぬことについて、あらゆる自然界の動植物のように誇り高く、
人間には人間の尊厳を守るための生き方と知恵が必要だと思う。


知恵を正しく使わない短絡的な思考と排他的、他罰的な選択は、野蛮な結末を生んでしまう。
結果として多くの人の命を奪い、ぬぐいきれない犠牲ばかりを払い、この地球に悲しみの根を張ってしまうから。

自然界とはすべてが生まれるところで、すべてがかえっていくところ。
だから私は生きることを自然から学び、すべての生物の種族が自然界のルールのなかで生まれながらに持つ矜持のように、
人間として最低限の命の尊厳は守られなければならないと思う。


それは誰かが与えてくれるものでもなく、簡単に奪えるものでもなく、生まれながらに根付いている命の誇り。


それだけはどんな小さな生き物でも平等で命あるものすべてがもつ唯一の権利だと思うから。


数々のサルガドの写真は、すべてが私に語りかける。
ある一枚は失望に泣き、ある一枚は欲望に燃える人間の姿あった。ポートレートであっても命をたたえ、自然界に生きる命という大きな力を感じさせた。そして万物の美しさをたたえていた。


光と敬意に満ち、力のあるものばかりだった。

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コメント

自然が 人間に警告を    



蒸し暑い

なみへいオヤジ 2016年06月21日

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