クラシカルでストレートなこと


ネルソン・フレイレが弾くショパンのプレリュードを聴いている。

音楽のいわゆるクラシックと言われているジャンルは
過去に作曲家が作った曲を、いまの演奏家が再現して演奏していく。
その「過去」が、「クラシック」と呼ばれる範囲に入っていれば、クラシック音楽。

楽譜と作品の解釈や、時代背景を理解して演奏することが非常に重要で、
モーツァルトはモーツァルトらしく、
ベートーヴェンはベートーヴェンらしく、
という基本軸があった上での、
それぞれの現代の演奏家の香りがする
というのがクラシックの演奏。
ちょっと雑な説明だけれど、そんな感じ。


だから、一から作曲して自作のものを演奏する、っていうよりも、ある部分では「不自由さ」も出てくる。ルールの枠をはみ出たらいけないところが各所に横たわっているのだ。


わたしは小さい頃は10年間クラシックバレエを習っていて、
そのあとはクラシックのピアノで大学に行ったわけだけれど

バレエもモダンバレエや創作、ジャスなど
いろんな素晴らしいものを知る機会もあったし、
ピアノだって、ジャス、作曲、ポップスと様々な形に出会ってきた。
それでも、やっぱり、結局のところはクラシックと呼ばれるものに戻って落ち着いてしまう。


なんていうか、真っ向勝負なものが好きなのかも。

ピアノでの経験で言うならば、クラシックって結構めんどくさい。例えば大学の定期試験やコンクールでは、課題曲っていうのがあって、2、3曲の課題曲の中から選んで演奏したりする。
だから自分の前後の順番の人が、自分と同じ課題曲を演奏する確率は高い。
ね?めんどくさいでしょう?
全く同じ曲で、審査員に比べられる。
でも面白いことに、本当に、それでも十人十色の演奏が展開されるのだ。
つまるところ、差は歴然。
思い出しただけでも、なんとも胃が縮むようなものだ。


そんな中で自分の直前にどんな演奏が聴こえてこようが
自分は自分の演奏をするだけ、と、
強く自分を保って、演奏する。
学生時代はわりと、そんなこととの闘いも多い。

その中で感じてきたことは、今に通じてくることもたくさんある。
当時の七転八倒の胃痛がするほどの緊張感や、出だしの30秒で半分くらいの勝負か決まる集中力、10時間もピアノに向かい続けて毎日練習することの忍耐の経験も、まあ、無駄じゃなかったかなと思いながら。




同じ曲で他人の演奏に惑わされたくないからといって他人の演奏を聴かないわけじゃなく、むしろたくさん聴いたりする。
もちろん、コンクール当日にではなくね。

たくさん聴いたり、勉強したりした上で、
じゃあ自分ならどうする?
と自問自答して、私はこうだな、っていうものを提示していく。
私の中でのクラシックはそんな感じ。


様々な分析、山積みの資料、足の裏の豆が潰れるほど歩いて行うフィールドワークの先に、出てきた論文の結論は、たったの一行だったりする。
けれどその一行は、その前段階の積み重ねがなければ決して出てこない。




地味な工程で
めんどくさくて
一見暗そうって思われがちなこと。

けれど

ちゃんと積んだ上に出てきたものは


何物にも負けない輝きを放つ。




そういうのが好きなのかも。





今聴いているネルソン・フレイレも
私の大好きなピアニストのマウリツィオ・ポリーニもそんな感じ。



ザ・王道


それは茨の道



テーマが「赤」でなにか作品を作ってください、っていわれて、
もし、キャンバスいっぱいを赤色で埋め尽くしただけの作品が、とんでもない美しさと存在感を放っていたら
他にどんな工夫や斬新さのある仕掛けの赤い作品を出されても、叶わないんだろうな。

なんとなく、そんなこと。


マウリツィオ・ポリーニのショパン以上に
王道で美しいものに出会ったことがない。極めて個人的な主観の感想だけれど。



ストレートとか
クラシカルって

その良さを感じてもらえるまで
結構時間がかかったりもする。

時代の流行りにのって、きらびやかな目新しさもなければ、
センセーショナルなトンガリもなかったりするから。


でも、
クラシカルは消えない。
きっと100年後も。


自分が死んだ後に、
今からはとても想像できないような時代の人間たちが
ショパンを弾かせたらやっぱりマウリツィオ・ポリーニだよね
って言ってる。


ピアノ曲はモーツァルトが好きなんだよなあ
って言って、
カフェで静かに流れていたりする。
100年後にも。




それはなんだかすごく

かっこいい。














コメント

クラシックの演奏を聞いて、いつも思うのは、このような演奏が本当に
作曲家が望んだものなのか、ということです。

私のような楽器を弾くことの出来ない人が言う事ではないのですが、
ショパン、モーツアルト等の望んだ(作曲された当時の、曲そのものの
ナチュラルさの再現)ものは、永遠に、誰も表現できないのではない
かと思いつつ、いつもCDを聞いています。。。

まるみる 2015年08月28日

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