横浜、桜木町の時計台の下に存在するところから記憶が始まった「使者」たち。
10歳前後の姿形をした「使者」は皆、名前を持たず、歳も取らず、心臓も骨も血も体内にはない。歩き疲れることも、空腹になることも、眠る必要もない。
『名のないシシャ』(角川書店)
山田悠介さんの小説を読みました。
「使者」たちには
人間の寿命、残された時間が見えます。
そして「使者」たちはそれぞれ、三年間分の時間を持っていて、
人間に時間を与えることもできます。
ただし、「使者」自身が持っていた三年の時間を、全て誰かに与えてしまうと、「使者」は消えてしまうのです。
後に「テクちゃん」という名前を人間の少女からもらうことになる少年は
存在してからの50年、誰にも一秒も時間を与えずに過ごしていました。
「少年はこの世に心底退屈しており、生きることに未練はなく、自分が消え去ることに恐れもない。
だからといって、時間を与える価値のない人間に時間を与え、生涯を終えることだけはしたくない。
いつかは命を捧げてもいいと思える人間に出会えるのだろうか。」
テクと、
同じように名前を与えられた「使者」の心美と、直弥。
三人が、自分たちに名前をくれた人間のことを本心から想う時
「いつかは命を捧げてもいいと思える人間に出会えるのだろうか。」
漠然と、退屈していたころの気持ちに、
答えが出ます。
直弥として暮らした「使者」は
「どうして、見ず知らずの人間に大切な時間を与えたのだろう。
もっと時間を大切にしていれば母に三年近い時間を与えることができたのに・・・・・・。」
と悔やみます。
時間というのは
本当に貴重で、何にも代え難いもの。
そして個人差はあるものの
その生涯の持ち時間に必ず限りがあるもの。
後悔したくなんてないから
自分の中の優先順位をその都度指差し確認して、
急に頭の上に浮かぶ残り秒数数字が0になっても
まあ仕方が無いね、
と思えるような毎日を
積み重ねて行きたいです。
明日やればいっか、とか
今度でいいや、とか
そう思ってたら
明日も今度も、無いかもしれない。
そうですね、、、少しの時間でも、有意義に生きたいと思います。☆