『プール』

ある日突然
誰が書いたのかも
誰に宛てられたのかも
分からない手紙が届き始め、
過去の思い出と共に、
それぞれの道を歩んでいる人たちの物語が進んで行きます。


『プール』(小学館)

松久淳+田中渉(著)

読み終えました。


この物語で手紙といえば、
メインとなるのは、
その誰が書いたのか、誰に宛てられたのかもわからない謎の手紙なのですが、

私は、癌で余命いくばくもない斑目さんという男性が書いた手紙が
心の奥にひっかかりました。

死期が近づいていることを
毎日少しずつ感じながら過ごしてきた斑目さんが
最後に書いた手紙の一節。


「いま僕には二つの恐怖があります。「死ぬ恐怖」と「愛する人を残していく恐怖」です。僕は今こうしているときも恐怖で押しつぶされそうになります。死期が近づいて悟るなんてとんでもない。僕は怖い。」

いろいろなことを思い出して
父にも、同じように
生前、二つの恐怖があったのだろうか
と思いました。

前者の恐怖は よく映画や文学でも作品として描かれていたりもして
様々なことを想像しうるのですが、
後者の恐怖について、斑目さんの手紙の一節を読んだ時に、
私の中では瞬時にいろいろな部分に繋がったような気がして
納得させられたんですよね。


たとえば
故人に対してずっと悲しみ続けていると、故人もかわいそうだよ、
なんてよく言われたりしたんですが、
そういう時、私は、
生きている側を立ち直らせるための都合のいい台詞なんだ、
と、正直、感じていました。

どうすることもできないのだから
そうでも考えないと、やっていられないというか。
昔からの知恵というか。

私は
そんな気休めの表面の言葉には流されないんだ、
なんて 妙に深くまで考えようとしていた部分もあったのかもしれません。
20代前半で若かったからかもしれませんし。
とんがりがあったのかなあ。

仮に斑目さんの書いた恐怖の後者が
私の父にもあったとしたら
私は父の心に対して
死後10年にもわたり
かわいそうなことをしてしまったのかもしれないと
ふと思ったのです。


心配していたことを
まさにその通りに しかも更に増大させて心配させる状態であったという。



大人になるにつれて
だんだんと父が生きていた頃と 節目節目に同じ年になっていき、
父が亡くなった年に近づいて行き、
小さい頃には理解できなかった父の部分が
なんとなく気持ちがわかるような所も出てきたりして


生きている人の人生を
なによりも大切にしていた父の考え方からすると
娘が生きているのに、不本意とはいえ先に亡くなった自分のことで
悲しむ時間が多いのは、父の本意ではないんだなあとか。



進むしかない。
前を向いて。
振り向かずに。振り向かずに。
進め、進め、進め。前に。


そんな声が
後ろから聞こえたように思いました。

帰るまで、声の主を振り返ってはいけない。


「オルフェオとエウリディーチェ」みたいです。

コメント

そうですね。お父さんを悲しませることのないように、いつも笑顔でね。☆

まるみる 2013年11月14日

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