「四月物語」

今日はあの人のいうオススメスポットに行く。
前々から薦められていたが、なんとなく行く気になれなかった。
というのもその場所はかなり辺鄙なところにあって、車の運転ができない彼女がその場所に辿り着くのには、幾つかの乗り物を乗り継いで片道二時間は軽く掛かる。
移動だけに往復四時間も掛けて、ただ「行ってみれば分かるから」という場所に行くのもどうなのかと思ったまま時間が過ぎていた。
要は面倒くさかったのだ。
が、会うたびに「もう行ってみた?」と聞かれること5,6回を数え、明後日には再び会う予定でいるので、いい加減に「まだ」と答えるのは申し訳ないような気になっていた。

いつもならまだ寝ている時間に、柔らかな人肌の布団から起き上がるのは辛かったが、外に出てしまうと一気に目が醒めた。
暫く嗅いでいなかった朝の空気をいっぱいに吸い込むと、体中に染み渡るようで、乗り気ではなかった気分が途端に乗ってしまうと、何か良いことがありそうな予感がする。
携帯を片手に乗り込んだ一本目の電車ではたくさんの人が揺られていたが、三本目にもなると、ほとんど人気は無く、車両も単独になっていた。
窓の外は良く晴れていて、桜も綺麗に咲いている。
彼女は羽織っていたパーカーを脱ぐと、胸元にかけ、ぼんやり窓の外を眺めていた。
ガタン、ゴトンと、規則正しく進む電車のリズムは心地よく、気づかぬ内に眠っていた。

夢を見た。
それは一瞬のことで内容は覚えていないが、とても大切でどうしても思い出さなければいけないような気がした。
彼女はすぐに目を閉じたが、目的の駅に着くまでに何かを見ることは出来なかった。

ホームに降りると、随分と古いコンクリートは所々が掛けていて、砂利がのぞいていた。
端から端までを見渡せるコンパクトなホームに人気は無く、改札も無人だった。
駅を出ると、同じならびに小さな商店とお蕎麦屋さんの看板があったが実体が見つからず、道を挟んだ向こう側に広がる草むらの奥に二階建てのプレハブ小屋が見えた。
それらしい建物は他に見当たらない。
せめて自販機だけでも営業してくれているとありがたいのだが、駅前の自販機は全てが売り切れていた。
よっぽどの人気スポットらしい。
道を聞こうにも人っ子一人居ないので、頼りになるのは携帯電話だけだった。
彼女は目的地を入力すると、アプリを立ち上げ、それを頼りに歩き始めた。
目的地までは歩いて15分程だが、代わり映えの無い景色の中を黙々と一人歩いていると、狐に化かされているような気分だ。
角を曲がれど同じ景色、何処を見ても、林、林、道路、ぺんぺん草で心細い。
此処を曲がってしまったらもう帰り道が分からなくなってしまうのではないかと、妄想しながら、気休めに左指を折々進むと、案外あっけなく目的地に着いてしまった。
丁度15分で辿り着いたその場所は、暫く続いていた林から急に盛り上がり、ちょっとした山になっている。
公園と聞いていたが、立派に聳えている石段は一見すると神社のようだ。

見上げてみると、100段は裕にありそうだが、手すりはない。

よし、と彼女は爪先に力を込め一気に100段を駆け登ると、死んでしまうのでないかと思うくらいに息が切れた。
頭がボーっと重くなり、気が付くと無意識に膝へ両手を付いて、ゼェーゼェーやっていた。

―階段登るのってこんなに大変な作業だったっけ?
水分を求めて回りを見ても何も無い。
とりあえず息を整えようと深呼吸、深呼吸していると背後から笑う声がするのでハッと振り返ると、杖をついたおばあさんはいつの間にか佇んでいた。

「こんにちは」
「はぁ、こんにちは、、、」
「いっぺんに階段を登ってらしたんでしょう?」
「へぇ?なんで分かるんですか?」
「そんなに息が切れてたら、誰でも分かるわ」

おばあさんは尚も手をついている彼女を見て笑った。

「あぁ、そうか、、、はぁ、しんどぉ、、、」
「今日はお一人なの?」
「そうです」
「あぁそう、桜を見にいらしたの?」
「いや、、、別にそういう訳じゃないんですけど、、、薦められて」
「あぁ、そう、じゃあこの先にある桜は綺麗よ~そばに池もあって」
「そうなんですか?」
彼女は息を整えながら辺りを見回してみたが、桜の木は一本も見当たらなかった。
「この先に池があってね、そこに咲いてる桜がとっても綺麗なのよ」
「そうなんですか。ありがとうございます」と会釈すると、おばあさんは「無理しないでね」と手を振った。

少し進むと、公園らしいシーソーやブランコを見つけられたが、何処と無く、公園というには寂しい感じがする。
その理由は暗い。
空は青いのに、生い茂る細い木々が空を覆って陰っている。
遊び場というよりはウォーキングの途中に休む場所といった印象だ。
今のところ、この場所を薦められる理由になるような特別は見当たらないが、教えてもらった桜池を目指して進むと、一面の淡いピンク色が飛び込んできた。

―あれ?
それは不思議な感覚だった。
―来た事ある。ここ、来た事ある。
彼女は不意に来た道を振り返ると、一気に鳥肌が立った。
―え!なんで?来た事ある!
目前に迫った池に駆け寄ると、驚いた鯉が鰭を返し泳ぎ去った。
―見たことあるぞ、この池!いつ?
必死に思い返してみても思い出せない。
気持ちが悪かった。

とうとう思い出せないまま彼女は来た道を戻る事にした。
―絶対に来た事が無いのに、初めてなはずなのに。
訝しげな彼女は声を掛けられて、再びハッとした。

「桜、綺麗だったでしょ?」
「あ!はい」
おばあさんは変わらず微笑んでいる。
「もう帰られるの?」
「かなって思ってるんですけど」
「そう、お気を付けてね」
「はい、ありがとうございます」
彼女は軽く会釈すると、階段を一段下がったところで振り返った。
「あの、おばあさんはまだ此処におられるんですか?」
「ええ、わたしはもう少しここに」
「帰り、階段、大丈夫ですか?」
「私はそっちから」
そういっておばあさんが指差したほうを見てみると、緩やかなスロープがあった。
「あぁ、気が付かなかったです」
「まだ、お若いからね」
「はは」
彼女はゆっくりと階段を下った。

後日あの場所を勧めたあの人に桜が綺麗だったと報告すると、「行った事あった?」と聞かれ、「あった」と答えると、「やっぱり」と返事が返って来た。


池のそばでは桜が音も無くハラハラと花びらを散らしている。

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