「三月物語」

その日、最小限の荷物を持って車に乗り込むと、車内時計は21時を回っていた。
暖房の効いた車の中は暖かい。
全員が乗り込むと、車は走り出した。
目的地までは都内から二時間半ほどで、予報によると現地は雪らしい。
私は、移動が大好きだ。
取り分け、車というのは特別で何時間でも飽きずに窓の外を見ていられる。
真っ暗な車内から見える外の景色はキラキラと輝いていて、イヤホンから流れてくる大好きな音楽以外に聞こえない空間は私にとって特別だ。
でもそれはきっと、自分で運転するのでは違っているのだろうと思いながら、特別な時間に耽っていた。

現地に到着すると、予報はハズレ。
雪が降ってもおかしくないほど、キンキンだったが、空を見上げてみても雲が厚く、星一つも見えなかった。
「せっかく山の上に来たのに、星も見えないなんて残念」
と拗ねた事を言いながら、部屋へ入ると、その日はさっさと寝てしまった。

翌朝―。
部屋のカーテンを開いてみると、まだ薄暗い空から雪が舞い降りて、一面がほんのりと白く染まっている。
思わず、部屋の窓を開け、手のひらを差し出してみると、冷たい雪がポツポツと水滴になった。
耳を澄ましてみると、シンシンと雪の舞い落ちる音が聞こえ、見渡す限りの山以外には何も見えない。
むかーし、むかしと話が始まりそうなロケーションだ。
雪に気を取られながらのろのろと仕度をすると、朝食を取るために食堂に向かった。
そこは一面ガラス張りで、綺麗にお化粧した景色が一望できる。
パンが焼ける香りと、スープの湯気が引き立ち、一層美味しそうだったが、頬杖ついている間に冷めてしまっていた。

それからの三日間は怒涛のスケジュールで、あれほど見とれていた雪も仕事の上ではライバルでしかなく、仕舞いには「また降ってきた」と言われる始末。
噂に聞いた温泉にも浸かる事無く、私は風邪を貰ってその場を後にした。

帰りの道中ふとテレビで見たガラパゴス島のガイドさんの言葉が過ぎった。
「この島に残していいのは足跡、そして持ち帰って良いものは思い出だけだ」

火照った頬に冷たい窓が気持ち良い。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「あの辺、咲いてるんちゃう?」
運転しながら上目使いに山肌を見た紅子が言った。
「どこ?」
見ると、桜が咲いている様子は無い。
「おかしいな~、昨日来た時はもう咲いてたんやけど」
―絶対ウソッ!!
紅子がこういうスケスケの嘘を言うときは何かある時だと承知している。
でも、かと言って「おい!スケスケだぞ!」と言うと一気に引っ込んでしまうので、静かにその時を待つのが宜し。

「まぁ、適当にその内咲いてる所に着くんちゃう?」
「そうやな、適当にその辺グルグルするわ」と言いながら黙々と運転する。

紅子は私よりも一つ年下で、かれこれ10年以上の付き合いになる。
とは言っても、一年に一回、会うか会わないかな感じで10年なので、もしかしたら両手で足りてしまうくらいしか会っていないのだと思うと、偉そうに10年以上の付き合いなどと言ってしまうのもどうだ?とも思うが、逆にそれほどの付き合いであるにも関わらず、切れていないというのもどうだ!とも思う。
現に、今こうして彼女の運転する車の助手席に乗り、なんとなく何かあるぞ!っと察せているのだから、後者の方なのかもしれない。
ともかく、不思議と通じ合っている感が彼女との間には存在しているのだ。

「そういえば、二人でお花見って今まで無かったよな?」
「うん、いっつも何か知らんけど、ご飯食べて、食後のボーリングコース(笑)」
「そうそう、何か紅とはボーリングばっかやな」
「もうそろそろ私らも大人やねんから情緒のある事せなな」
「お花見とか?」
「そう」
「ほんで、花はどこ?」
「そういうのが情緒ないねん!急きなや」
そう言って紅子は熱心に山手を走るが、一向に桜は見えない。
それでも話題は尽きなかったので、なんとなくドライブになっていた。

「なんか、うなぎ食べたい」
「え?!うなぎ?(笑)なんで?」
「なんか無性に今、うなぎやわ」
ナビにうなぎと入れると、周りはうなぎだらけだった。
「ほら、こんなにうなぎだらけやで!これはもう食べなさいってことやわ」
「うなぎぃ?(笑)」

とりあえず、すぐ近くのお店に入ったのでは紅子のいう情緒がないので、二番目に近いお店に行くことにした。

「待つかもよ?」
引き戸を引いた紅子は賑わっている店内を見てそう言ったが、二階へどうぞ。とすぐに入る事が出来た。
案内された二階に上がってみると、他には誰もおらず、一階とは打って変わって静かだ。
そして幸運な事にテーブルの上には一枝の桜が生けられている。
「おぉ!こんな所に咲いてたで!」
「ホンマや!」
「やっぱりうなぎで間違いなかったな」

そして、温かいお茶を啜りながらの花見が始まった。

「最近どうなん?」
紅子がざっくりと聞くので「まあ普通」と答え、紅子にも同じ事を聞き返した。
「あんさんは?」
「うん、まあ普通やな」

―・・・。

「え、終わったやん!」
「いやいやいや、別にこれと言って何もないねんけど、もしかしたら人妻になるかも」
紅子は顔色一つ変えずさらりと言った。
「え?!結婚するの?」
「うん」
「なんやー何かあるとは思ってたけど、そっち?」
「そっちってどっちよ?」
「いや、何か悩んでんかなって思ったわ!だって全然咲いても無い桜見に行こうとか急に言うし」
「あはははは」
「そうなんや!おめでとうございます」
「ありがとう」
「ほんで、旦那様はどんな人なん?」
「年下やねんけど、私よりしっかりしてる人。写真あるで」
見ると、カメラを向けられて何処となく緊張している様子の青年が写っていた。
「緊張してる?」
「そう、写真とか苦手やねん」
「へーなんか優しそうやし、そういうの好感持てるな~」
「そうやろ?そういうのが良いねん♡」

それから店の人が「そろそろ」と上がってくるまでの数時間、一から十まで二人の馴れ初めを取り調べた。
気持ちが良いくらいにデレデレと自白する紅子につられて何故か私までもデレデレとなり、ノンアルコールでも立派にできあがっていた。

それからスグに紅子から一通の葉書が届いた。
「私たち結婚しました」
と満開の桜の木下で正装の二人がぎこちなく微笑んでいる。

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