何もない場所への1歩

日本の近代美術史について読んでいて
彫刻の話のところに

高村光太郎さんが出てきました。


高村光太郎さんの作品で有名なのは
1918年の「手」ですが

こんなような手の彫刻作品で





(…これ、真似しようとすると結構大変…手が、指が、手首が、つりそうです…。
 気になる方は、「高村光太郎」「手」で検索するとどんな作品か分かるかと思います。)



左手がぷるぷるしちゃいましたが…



すばらしい彫刻のみならず

作家活動もなさっていて、
詩も国語の教科書に出てきたので
「高村光太郎」というその名に聞きおぼえがある方も多いかもしれませんね。

『道程』という詩集の中にある
「道程」という詩。

もとはとても長い詩だったようですが、
後に長かった詩の最後の部分だけを抜き取った短いバージョンとして
詩集に組み込んだようです。

教科書で紹介されるのは
短いバージョンでしょうか。


有名な1節は

「僕の前に道はない
 僕の後ろに道は出来る」

です。


長かった最初のバージョンでは
この前にも言葉があり

「どこかに通じている大道を僕はあるいているのじゃない
 僕の前に道はない
 僕の後ろに道は出来る」


となっていたようです。

長いバージョンを読んで行くと

最初から分かっている大きな道を歩いているのではなく、
いろいろと寄り道したり
無駄だとも思えるような道を歩いていたり

試行錯誤しながらも
自分の足で一歩一歩歩いて行く様子が
ひしひしと伝わってきます。

ただ立ち止まることしかできなくなった時、
それでも自分は、道の端にいて
後ろには自分が歩いてきた道がある。

歩いてきたんだ、確かに歩いてきたんだ、
その事実が後ろに続いている。

美術史を見ていると
いつの時代も
前例のない何かに取り組んできた芸術家たちがいました。
時にそれが大きく批判されたりもしながら
それでも新しい道へと突き進んで行く人たち。

彼らがいたからこそ
芸術は発展し、斬新なものが生れ、
積み重ねられて今に至るわけです。

まだどこにもない道。
ならば自分で作るしかない。

ほんの1歩
踏み出すだけでも、
道が付けられていないところへ足を踏み込ませるのは
とても勇気がいることかもしれません。
この1歩で本当によかったのだろうかと、不安になるかもしれません。

けれど、
その1歩の次に、また1歩、また1歩、
1歩が3歩になり、3歩が30歩になり、
気がつけば

「僕の前に道はない
 僕の後ろの道は出来る」


少しだけ立ち止まっても
後ろには確実に歩んできた道が出来ていて、

けれど立ち止まってばかりいたら
今度は自分の前には一切道がないまま。勝手に道は出来てはいかない。

ゆっくりでも
じわり、じわりとでも、
小さな1歩、
時に大きな1歩、
調子がいい時はジャンプしながら幅跳びのように1歩が出ることもあるかもしれないし、
躓いたかのように、ほんのちょっとしか踏み出せない時もあるかもしれない。

大切に1歩の道を自分の足元に描いて行けば
何歩目かまで来た時に
その道に名前が付くかもしれない。

いい名前をその道に付けてあげられるように
頑張ろう。


そんなことを思いました。

コメント

高村光太郎さんは、高村光雲さんのお子さんでしたよね。クローバー

また、高村光雲さんのお話になってしまいますが、地元
には、木曽義仲の銅像があり、その作者が、高村光雲さん
だったと記憶しています。芽

その騎馬している姿の銅像は、何度見ても素晴らしく、
さすがに、すごい作品だと、いつも感心しています。満室・満席・満車

まるみる 2012年11月06日

現代人の実態は、

【後ろを、振り返る余裕は無い。

前進あるのみ】


では、ないでしょうか!(ToT)

グラとし 2012年11月06日

高村光太郎作『手』とても素敵な彫像ですねわーい(嬉しい顔)

個人的にはお父様の『老猿』の方が好きです
あの佇む老猿に漂う哀愁が堪らなく好きです
後はオルセーに有るエドガードガの踊り子を題材にしたブロンズ像が大好きです
セザンヌやゴッホそしてモディリアーニ…
確かに批判されながらも前人未踏の地を歩んだ作家達の登場によって美術は大きな転換点を迎えていますね
そして後世の人間が歩んだ道程をなぞってゆき失った者の偉大な才能に気づくのでしょう…
もしゴッホが現れた時代に今の様なメディアが存在して時代の寵児に成っていたらと考えるとまりさんはどう思いますか?
私は
直ぐ人を信じてしまい騙されて利用されてしまいそうに成るゴッホをテオやゴーギャンが必死に成って止めて居るんじゃ無いかと思いますねでもピカソの様に生前に高い評価を受けていたら
残された作品達は数奇な流転の旅の渦に呑まれる事もなかったでしょうし、上手くコミュニケーションが取れないゴッホが無理矢理人に押し付けたとされる作品達のミステリーもうまれなかったでしょうが…あせあせ(飛び散る汗)

炎の人 2012年11月06日

高村光太郎さんですねウッシッシ


名前は知っておりますわーい(嬉しい顔)


まりさんを見ていると


本や芸術が好きなんだなあと


いつも思っておりますウッシッシ


今日も一日お疲れ様でしたm(_ _)m

隼人 2012年11月05日

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