家族愛や師弟愛、恋人同士や夫婦の愛、
子供への愛情に、一緒に育ててきた動物への愛
それぞれの価値観で、
それぞれの愛を胸に生きて行く。
色々な強さや大きさの愛があって
それぞれに適したサイズであるなら
心地よさを感じるのかもしれません。
天童荒太さんが書かれた直木賞受賞作品の小説『悼む人』(文藝春秋)には
「悼む人」と呼ばれた坂築静人という青年が登場します。
彼は死者を「悼む」ことを目的に全国をさまよい歩きます。
それは死者が全く知らない他人であっても、
どの人へも同じように「悼む」行動をすることです。
「悼む」について静人は
「(中略)ぼくは、亡くなった人を、ほかの人とは代えられない唯一の存在として覚えておきたいんです。それを<悼む>と呼んでいます。」
と述べています。
静人が死者についての情報として周囲の人に質問することは
「その人は、誰を愛したか。誰に愛されたか。どんなことで人に感謝されたことがあったか」
この三つであれば、どんな極悪人のように見える人だったとしても、
答えが得られるのだというのが静人の意見です。
誰かを愛していたり、誰かに感謝されていたり、
特別な愛の時間を刻み続けていることが
生きているということかもしれません。
もしも重大な大事件や、目に見えてはっきりするような大きな違いがない時には
普通の人だ、普通の人生だ、と決めてしまうのは簡単でしょう。
けれど、それは特別な何かを見落としているからかもしれません。
うちのミニチュアダックスのウィルは、
ブラック&タンのロングヘアーという種類の犬です。
それも、どこにでもいる普通のダックスとすれば、そう言えなくもありません。
けれど、ウィルは私にとって唯一無二の存在であり、
たとえ同じブラック&タンのロングヘアーの男の子でも、
同じ誕生日で双子の兄弟で瓜二つの見た目だったとしても、
私にとってはウィルこそが愛する子だし、
ウィルの代わりはどこにもいないんです。
ウィルは何かすごい芸が出来るわけでもないし、
特徴的な何かを持っていたり、
近所で話題になるような子でもない、
ごく普通の犬です。
でも、私には特別な子なのです。
いつも家で帰りを待っていてくれて
嬉しそうに迎えてくれて、和ませてくれて
ありがとうと感謝しています。
誰かを愛し、愛され、感謝される人生なら
毎日がとても輝いた日々になる気がします。
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