発掘されるもの MMM1000 Vol.11

カフェにて
隣の席で高校生二人が勉強していました。

と、一人がポケットの中を探りはじめ
中から100円が出てきました。
喜ぶ高校生。
続けて50円玉と10円玉も別のポケットから出てきて
結果160円が出てきたことになりました。

160円は最初から本人のポケットに入っていたもの。
いつか入れたはずなのに、忘れてしまっていただけで
魔法で出てきたのではありません。
それでもなぜか得をしたような気持ちになってしまいます。

実は得はしていないのに
得をしたような気がすること。
思い返すと色々あります。

最近では図書カードの話です。
図書カードは、何かの機会にいただいたものが多いです。
いただいた図書カードは、いつか大切な本を買う時に使おうとか、
何かの記念にとか、ちょっと金額が大きい本を買いたい時にとか
いろいろと考え過ぎて、結果仕舞い込んでしまいます。

得の話と少し似ていますが、
結局使うのだから、今日本を買うときに使っても、
来月、大きなものを買うときに使っても同じなのです。

そうわかっていても、図書カードを使うタイミングは悩んでしまいます。
なんとなく特別な本に使いたいような気がしてしまって、
使うタイミングは今じゃないなと思っている間に、
カードをいただいてから随分と時間が経ってしまうことも多いです。

そんな大切に仕舞い込まれた図書カードなので、
仕舞ったことも忘れてしまうこともあり、
忘れたころにひょっこり見つけると
突然得したような気分になります。

160円の話でも言いましたが
これは得でもなんでもありません。

最初から160円は高校生のものだったし、
仕舞い込んだ図書カードは私が持っていたものです。

それでも思いがけず発掘されたものというのは
見つけた時に得した気持ちにならざるを得ません。
この場合は、ないはずだと勘違いしていたところに
発見があるというのがポイントです。

確かここに仕舞ってあったはず
と思いながら探したりすると
得した気分の感じ方が違うかもしれません。

これは一種の勘違いです。
それも、ちょっといい意味での勘違いです。

得したなと思っている時は
少しハッピーな気持ちになりますよね。
損したなと思うと気分が落ち込みますが、
得したと思って暗い気持ちになることは、あまりないはずです。

このハッピーな勘違いは、
訂正せずにいたほうが幸せかもしれません。
正しいことだけが良いとは限らないんですね。

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