亡くなった父のことを思い出します。
まあ、桜が咲かなくても
思い出すのですけれど、
どういうわけか
満開の桜を見ると、思い出すことが、父なんですよね。
特に一緒にお花見をしたわけでもないのですが、
何かの時に
父が東京に来て、
一緒に歩いていたところに偶然桜が綺麗に咲いていたんだと思います。
そこから記憶が連鎖して、桜を見ると
父が隣にいた思い出がよみがえるわけです。
今年も桜は去年と変わらず綺麗に咲いたんだなあ。
と思うと
急に淋しくなります。
毎年変わらないもの。
来年も変わらないと思いこんでいたもの。
今年、もう無いもの。
変わらない何かを見ると
変わってしまったものが余計に浮き彫りになって来るのかもしれません。
いつまでも変わらないことなんて
そうそうあるわけでもなく、
もちろん変わらないこともあるかもしれないけれど
その保証はどこにもないんだということ。
だから
人が、変わる風に逆らえないのなら、
何もできない部分もあるのなら、
今を精一杯、大切に噛みしめること
それくらいは、やっていこうかなって思うんですよね。
私は知りませんでしたが
母から聞いたところによると
父は淡い色の花が好きだったのだそうです。
だからきっと
桜を見た時にも
キレイだなあと思って
見上げていたのかもしれません。
淋しいなあ。
淋しいけれど、進まなくては。
私にできることは
今を全力で頑張り切ること。
そう思うといつも
もっともっと努力しなくちゃって思うことが
たくさん出てきます。
もっと仕事して、
もっと頑張って、
もっと努力して、
やれることを追求して、
1日24時間では足りないと思う毎日だけれど、
時間はみんなに平等に24時間。
今自分が生きているこの貴重な瞬間を大切に
走り続けたいと思います。
桜の花の咲く時期に、亡くなった人を思い出すことは
確かにありますね。
また、入学、卒業などの、淡い思い出も、次々に思い
出します。。。
ひとつひとつの出会いを大切にして、お仕事を大事に
しながら、毎日を多くの人のためになるように工夫して
過ごしている、今のまりさんの姿を、きっとお父さんは
嬉しく見つめているはずです。
たとえ、姿は見えなくても、ずっと傍にいて、ささえて
くれていると思いますよ。
そして、明日も、元気に、明るくね。