どこかへ行きました。
買い物をしました。
外にでて空を見ました。
深呼吸してみました。
このベンチに座ったなあ。
木が風に揺れてさわさわと心地よい音をたてていたなあ。
初めてチャレンジしてみた梅スカッシュ、
やっぱりアイスコーヒーにしとけばよかったと思った夏の日。
ぎらぎらした日差しの昼間なのに
どこかに日傘を忘れて
仕方がなく途中で日傘を購入したら、
やっぱり戻ったところに傘があったこと。
子供たちがふざけながら走り去って行った公園。
暑さに耐えかねてちょっと休憩したくなる人が増え
いつも以上に繁盛していた喫茶店。
いつもの道。
いつもの景色。
見慣れた電車に乗って
通い慣れた土地の横断歩道を渡る。
中島たい子さんの『漢方小説』(集英社)の中に
主人公の女性がストレスと日常について語るシーンがあります。
「物を書いている人間にとってストレスはネタそのものだ。なんの障害もないストーリーを書いて誰が面白いと思う?」
確かに、日常の中に自分の心が大きく動かされることが
大変だったことや苦労したことだったことの方が
どちらかと言えば印象深かったりもして
なんだか人に伝えたくなったり、
ねえねえ聞いてよって話さずにはいられなくなったりするものなのかもしれません。
2011年6月11日の記事『漢方小説』
http://beamie.jp/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=...
『choo choo日和 愛のマタタビ。』(メディアファクトリー)
こやま淳子さんの文章に、Jetoyさんの絵のメッセージブック。
ここでは
「安全な人生?なにが楽しいの?(赤ずきん)」という言葉も。
2011年6月21日の記事「心を握りとった子」
http://beamie.jp/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=...
常に新しいこととの出会いを楽しみにして
いつも刺激を求めている私ですが、
急にふと
ちょっとまって。
と思ったんです。
今目の前にある
何気ないこと、
文章にしてしまえば当たり前すぎて面白くないかもしれないこと、
友達に話しても、へーそうなんだ、で終わってしまいそうなこと。
そういうことも
いつものこと
何気ないことが
穏やかに過ぎているという思い出になって
心の中で輝くことがあるかもしれない。
とっても特殊で特別なことだけしか「思い出」になれないわけじゃないし、
大切なことは、むしろ
普通の毎日の中に隠れているのかもしれないと
心の中に不思議な風が吹いたん瞬間があったんですね。
そう思えた時から
日常を見つめる目線が変わった気がします。
今日も
暑くて
誰かさんは家のソファーでのびてますけれど、
私は
楽しい!
そう、毎日、過ぎ去る時間は
とても楽しいことの連続。
今日一日も元気で過ごせることに感謝です。
毎日同じように過ごしていても、変化はありますよね。
無事に過ごせるのは、ありがたい事です。